バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

いいわけ

私は今ベッドの端に腰掛け、真っ暗な部屋を電気ストーブが明々と照らす中、スマホゲームをしながら鼻水を垂らしている。
お腹が空いたと泣く子供に乳を咥えさせたら、そのまま寝入ってしまったのだ。
30分もすればミルクの時間になる。
私のたいして出もしない乳では満足せずすぐに起きるだろうから、それまで寝かせておいてやろう、そんな親心を踏みにじるように1時間が過ぎようとしていた。
子供はふすふすと寝息をたて起きる気配もない。
電気ストーブのおかげで足元は暖かいが背後からヒタヒタと寒さが忍び寄っていた。
10分程前に鼻の下を冷たいものが下がってきたのには気づいていたが、ティッシュボックスは右側にあり、私の右腕は子供の枕になっている。
私は半裸のまま左手でゲームを玩ぶほか、なす術はなかった。

 


この二ヶ月程、最低限度の家事をこなす以外は子供に付きっきり、とはいえ悲愴感があるわけではない。
泣けば全力で子供がドン引く程のテンションであやす。
自分がここまで馬鹿騒ぎをした記憶は過去にない。
たぶん私は楽しんでいる。
それでも至れり尽くせりの里帰りライフのあとに待ち受けていた24時間体制のワンオペ育児生活はハードだった。
買い物はネットスーパーやネット通販。
週に何回かは宅食を頼むし、夫も月の2/3は帰りが遅いがそれ以外では積極的に家事はしてくれる。
実家の両親も時々小一時間かけて様子を見に来てくれる。
かなり優遇された生活だったけど、疲労はピークに達していた。
子供の世話、必要最低限の家事、子供をあやす、抱っこのまま眠る、ゲームする。
朝も昼も夜も、一日中この繰り返し。
ゲームは余分だろう。
いや、ただ座って過ごす罪悪感を和らげるのに必要だった。
そして眠る子供を抱え、足元に妖精の様に現れる綿ボコりを見つめながら


両手両足が自由なら、すぐにでも駆逐してやるのに


そう思う。
だけど実際にはゲームの駒を弾いている。
乳児期の母親が自由になれるのは子供が眠ったこの時だけなのに。
子供を下ろし、泣き叫ばれるのが怖いのだ。
3回に1回くらいは眠りを妨げずに布団に下ろせるのだが、その確率に賭ける勇気がない。
泣かれたら振り出しに戻って寝かしつけるだけなのに、その気力が持てない。
それは子供と向き合うことから逃げているということにならないだろうか。


ふと左手の親指がTwitterのアイコンに触れた。
懐かしい顔ぶれの変わらない姿がタイムライン上に次々と現れる。
この1年ほど、自分だけがなんだか遠いところに流されてしまったようで足が遠退いていた。
ここでも逃げていたということなのかな。


『産後の身体は全治三ヶ月の交通事故にあったと同じ』
『産褥期を過ぎても6ヶ月は安静に』


育児書に書かれている言葉を言い訳にしていないか。
無理をしてるんじゃない、書きたければ書けばいい。

 


熟睡しているはずの子供の頭からそっと右腕をはずすと、二度ほど悶えるように身動ぎしてそしてまた寝息をたてだした。
ストーブの明かりを元にティッシュボックスから一枚引き抜いて鼻の下をぬぐう。
軽く丸めて足元のゴミ箱に放り込んだ。
そしてEvernoteを立ち上げ


『いいわけ』


と打ち込んだ。