こんばんは、年間300日スーツで過ごす女(育休中)、バリキャリ乙女のイシイド マキです。
気がつけば年末。
マジか。
産休育休中にバリバリブログを書くぞーと息巻いていたのにこの体たらく。
なぜ、こんなに時間がない。
いや、正確には思い通りになる時間がない。
なぜだ。
産後、実家に二ヶ月近く里帰りをしておりましてね。
「マキちゃんは寝てなさい」と孫を構いたくて仕方のないジジババが私を布団に押し込めて子供を連れ去るので、
「あれ?私、なんで実家にいるんだっけ?」
というくらいマンガとゲームに明け暮れる生活をしてたんですけどね。
いや、こんなことならあの時書いておけばよかった。
自宅に戻ってからは、ひたすら子供と向き合う、いや子供の動向を見張る生活になっております。
しかもウチの子、昼間はあんまり寝ない。
貴重なおやすみタイムが訪れても高性能背中スイッチが発動するのでなかなか床に下ろせないのだ。
抱っこのままだとなんもできん。
片手でできるスマホのゲームくらい。
というわけで、最近は積極的に床に寝せるチャレンジをがんばっております。
成功率8割くらいになりました。
えへん。
黙っててごめんね
さて、前々回(といっても9月だよ)突然の出産報告をいたしました。
仲良くしてくださってた皆さまにおかれましては「水くせえな、アイツ」と思われたかもしれません。
何卒、ご容赦を。
ちょうど妊娠の可能性が分かった頃、『先回りして準備すると無駄になる』ということがたまたま何度かありまして。
例えば、仕事用の靴をね、買ったんですよ。
今あるのでも充分履けたんだけど、ボーナス出たしってことで8cmヒールを二足。
ちょっと奮ぱつしていいヤツ買って、二足のうち一足を2回しかはいてないうちに妊娠発覚。
改めてローヒールの靴を買い直す羽目になるとかね。
そんな訳で、報告しちゃうとダメになっちゃうんじゃないか、いやなるに違いないと疑心暗鬼に陥りまして黙っておくことにしました。
ある意味願掛けです。
無事生まれましたので、もう何度でも言っちゃう。
生まれたぞー。
リアルタイムについて考える
さて、妊娠というのは本当にデリケートな話題でいつ打ち明けるかを悩む方も多いようです。
そんななかご存じの方もいらっしゃると思いますが、某有名ブロガーの女性がご自身の妊娠発表の時期をめぐって炎上しました。
なんでも妊活をリアルタイムで発信していくと発表した時期には既に妊娠が分かっていたのではないか、という疑いが持たれたのだそう。
私は彼女のウォッチャーではないし直接の発信はみてはおらず、引用や他の人の意見を目にした程度、つまりは又聞きの状態であります。
故に、この件に関する真偽というか賛否については他の方にお譲りするのですが、ただひとつ『リアルタイムに発信する』ということに引っ掛かりを覚えたのです。
発信ってリアルタイムにするべきものなのかって。
感情と情報は別のもの
そのブロガーさんいわく、
『思いだしながら書くよりリアルタイムで記憶がフレッシュなうちに描く方が間違った情報を伝えるリスクも少ない』(ブログより引用)
とのこと。
確かに時間が経つと書けなくなることもでてきちゃうんですよね。
忘れちゃうことや自分のなかで変化してしまう気持ちとか。
他にも環境の変化で話せなくなっちゃうこともあります。
私の場合、8月頃から書いてた婚活の話なんかは実際には去年の11月くらいの話で、思いだしながら書いてたらなんだかつまんない感じになってしまって。
産休に入ってて時間はたっぷりあったのだけど、自分が楽しんでないから筆の進みが遅くて遅くて。
結局書けたのは三本だけでした。
そんな風に『その時の気持ち・感情』に関しては記憶がフレッシュな方が間違いない。
これは正しい。
だけど『情報』については、特に口頭で得た情報は聞き間違いや思い違いだってあるはず。
改めて慎重に調べた方が間違いないし情報を欲している側にとっても親切だと思うのよね。
だから『感情』と『情報』の取り扱いは別にするべきなんじゃないかなと思うのです。
リアルタイムといつからいつまで?
ではリアルタイムっていつからいつまでなんでしょう?
今日の出来事を今日書いたらリアルタイムでしょう。
だけど昨日の出来事を今日書いたらリアルタイムじゃない?
三日前、一週間前、一ヶ月前は?
これも『感情』と『情報』では扱いが変わります。
例えば、誰かの1年前の悲しい出来事について今聞いたとしても、それに共感することはできます。
だけど一年前の医学情報を聞いて、それなら大丈夫と安心できるだろうか。
たまたま知り得た情報が一年前のものなら、やっぱり最新情報を検索したりするような気がする。
ではリアルタイムで欲しい情報ってなんだろう?
天気予報、スポーツの中継、選挙の速報…
強いて言うならゴシップの渦中の人の感情か。
つまり、『情報』はリアルタイムならありがたいけど、書き手の『感情』ってリアルタイムじゃなくてもいい場合の方が多い。
リアルタイムの『感情』の方が新鮮だと思うのは書きやすいという書き手の都合だけなのだ。
それが分かるとリアルタイムというのは、それ程、高い価値を感じる必要はないなと思ったのでした。
そんな訳で、来年もリアルタイムではないかもしれないけどお楽しみいただける話題をお届けできますように。
皆さま良いお年を!