バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

【読書感想文】ジェーン・スー著『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』を3年越しで読んでみた

こんばんは、年間300日スーツで過ごす女、バリキャリ乙女のイシイド マキです。


先日、Twitterのタイムラインを見て思わず「うぉう!」と小さく悲鳴をあげた。

 

 


小気味よい辛口と記事の質の高さで定評のドクダミ淑子(id:dokudamiyoshiko)さんだ。
もちろん淑子さんはほぼ毎日ブログを更新されているので、記事更新が珍しいのではナイ。


ジェーン・スー著『女の甲冑、着たり脱いだり 毎日が戦なり。』


ぅうん、いけず。
さすがやわー、淑子さん。
なんてミラクルなタイミング。
何しろイシイドにとってこの御本、初版本を店頭で購入してからこの方、ずっと封印し続けていた本だからだ。

 


ジェーン・スー著『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』


自称『未婚のプロ』
作詞家でありコラムニスト、ラジオパーソナリティと様々な顔でマルチに活躍されている、ジェーン・スー
『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』を読んだときの衝撃。
膝が逆に曲がるんじゃないかというくらい打ちまくったあの興奮。
イシイドの好きな作家1~5位までに常にランクインしている大好きな作家さんだ。

 

([し]10-1)私たちがプロポーズされないのには、101の (ポプラ文庫)

([し]10-1)私たちがプロポーズされないのには、101の (ポプラ文庫)

 

 


そんなジェーンさんの新作であるからして、書店で見つけたときには即買いした。
ところがあれほど待ち望んでいた新作はベッドサイドに置かれ、ほとんど開かれることなく半年が過ぎると積ん読の森、樹海へと飲み込まれていったのだ。
去年の年末、毎年恒例の『本の森伐採キャンペーン』により再びベッドサイドに返り咲いたのだけど、やっぱりその表紙は閉じられたままひと月が過ぎていた。


そこへ淑子さんのあの記事ですよ。
物事には巡り合わせというものがあるのだなとしみじみ思ったものです。
きっとこの記事がなければ、また半年後には樹海に帰っていったことでしょう。
淑子さん、ありがとう。

 


皆まで言わないで


さて、『女の甲冑、…』は初版が2016年5月でありまして、つまり3年近く眠っていたことになります。
大好きな作家さんの本なのに。


なぜか。


そりゃもう、あのタイトルのせいでしょう。
タイトルだけで全てを物語っちゃってる。
『女の甲冑、着たり脱いだり』で充分じゃないですか。
それをなぜ『毎日が戦なり。』まで言っちゃう?
ああ、もう皆まで言わないで。
もう読まなくてもどんな感想を持つか分かっちゃう。
そしてそれは自分にとって身につまされる、向き合いたくない不都合な事実に決まってる。
だから3年も目を背けてきたんでしょうね。

 


『甲冑』コレクション


『甲冑』をモチーフにしているだけあって、ファッションの話題がメインではあります。


私は三十歳を過ぎ、中頃が近づくと『似合うかどうか』よりも『如何にイタく見えないか』を基準に選ぶようになったと思う。
ファッション雑誌を隈無く読み込む暇はないので、店頭でマネキンの着ている服を選ぶ。
これで流行から外れることはない。
それからマネキンの頭と自分の顔をすげ替えておかしくなければ合格。
だけどここでうっかり自分の『幅』を忘れると一気にBBA度が上昇するのでそこもよくよくイメージすることを忘れない。
そうやってこの高いハードルを越えたお衣装なら間違いないか。


否。


マネキンのお顔を見てみよう。
もちろんのっぺらぼうな訳だけど、その肌はどうか。
つやつやつるつるのマネキンさんならアウト。
若さの象徴・ハリとツヤがなければ顔が服に負けてしまうだろう。
うっかり着用すれば『THE 若作り』だ。


とまぁ、これくらいめんどくさいことを考えなければいけないので、本当は服を買うのは好きじゃなかったりする。
その点、スーツって万能なんだよなぁ…

 


『甲冑』の正体


さて。
『甲冑』とはなんぞや。
私は『他人にどう見られたいか』という欲望だと思う。
正確には『実際よりもちょっとよく見られたい』欲望だ。


昨今『若見え』(実際より若く見える)とか『高見え』(安物だけど良質に見える)なんてコトバが使われるようになった。
他人に覗かれたとき、ちょっとだけ背伸びをしていたい、そんな気持ちだろうか。


そしてファッションやインテリアだけにとどまらない。
いわゆる『丁寧な暮らし』系も立派な甲冑だ。


毎日欠かさずお味噌汁の出汁を昆布とかつお節でとる。


………『本だし』顆粒タイプじゃあかんの?


「だってお味が違うんだもん」と言うかもしれない。
だけどアンタは海原雄山か!?


布ナプキンしか使いません。
お掃除はセスキ・重曹クエン酸


………それで寿命が延びるなら、それもよかろう。

 


自己満足なんだからほっといて!というご意見もあるでしょう。
でもさ、本当に自己満足で自己完結なんてスポーツの世界だけ。
スポーツって追い込んで追い込んで追い込むと脳内麻薬で気持ちよくなれるらしい。
ランナーズハイとかそういうの。
脳内麻薬中毒になっちゃってる人は『自己満足』以外の何者ではないと思うけれど、そこに筋肉自慢が入ってくると他人の目を意識した『甲冑』になるのだ。


「全部脱いじゃえば楽になれるよぉ~、ゲヘヘ」


そうかもしれない。
『甲冑』を脱ぎ去ればきっと身軽になれるだろう。
「アイツ女を捨てたよな」という後ろ指だって気にならないはず。
だけど、私は楽をしたいのではない。

 


ジェーンさんはこの本で『中年女に世間が向ける目』をコミカルに描き出している。
正しくは『向けられているであろうと想像する目』か。
それは同じく未婚のプロで中年女の私としては目を背けたくなるような現実で、ああ、やっぱりと肩を落とす。
だけど世間はそこまで中年女にキビシくないんじゃないかな、とも思えた。
もう楽になろうよと囁く一方、


『脱ぐな、戦え』


と鼓舞しているようでもある。
中年女が他人から素敵と思われたいと思うことは浅ましいだろうか?
私はそうは思わない。
承認欲求は社会とつながる原動力だ。


私は『甲冑』を脱ぐつもりは毛頭ない。
ある程度固まった『甲冑』の形だけど、色を変え装飾を替え、少しずつバージョンアップしながら着続けていくつもりだ。


『女の甲冑着っぱなし、毎日が戦なれど我が人生楽しかりけり』


こうして今日もいそいそと甲冑を着込むのでありました。

 

 

 

この記事のきっかけとなりましたドクダミ淑子さんの記事はこちら。

www.dokudamiyoshiko.com

 

そして更にそのきっかけとなった淀川コーエン(@NotManzara)さんの記事はこちら。

 

not-manzara.com

 

お二人ともカッコいい、『都会で働く大人の女』のお仲間です。

なんでイシイドだけこんな三の線なんだろう…?