バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

オワリトハジマリト

こんばんは、年間300日スーツで過ごす女、バリキャリ乙女のイシイド マキです。
世の中が予想もつかない事態になってきましたね。
私もついに自宅勤務になりまして早一週間。
こういう時って本当にデリケートな状態で言葉には細心の注意を払わなければいけないのだけど、よく言われるようにまるで戦争中のよう。
うっかりふらふらと出掛ければ、ウイルスという爆弾に当たる訳で。
警戒しようにも戦時中なら空襲警報もあるでしょうがそんなものもないわけだし。
そもそも私の生活圏にウイルスはいるの?いないの?
私が毎日行くコンビニやスーパーの中に一粒もウイルスが侵入してないとは言い切れない。
もしかしたら一度や二度はこのハイヒールで踏んづけたかも。
敵の姿が目に見えないということは本当に恐ろしい。
事態の一刻も早い収束と羅漢された方々の回復を願いつつ、時を戻そう。
もう少しだけ、前回書ききれなかったイシイドの入籍の話にお付き合いください。
(ほぼサイドストーリーです)

 


年末の区役所にて


さて。
区役所前にて大ゲンカした若さまとイシイドはグルグルと区役所の周りを二周と半してようやく時間外窓口にたどり着いた。
当たり前なんだけど年末って区役所は休みなのね。
時間外窓口にはガラス戸のはまった受付に警備員姿の年配の男性が座っていた。
グレーの警備員服が看守のように見えて私は少し身を固くした。
警備員はガラス戸を滑らすと備えつけられた台帳を指差しながら、


「今日は混んでるから時間がかかるよ」


とめんどくさそうに言った。


「待ちますから大丈夫です!」


こちとら、そこで大ゲンカしてんだ。
今引き返したら二度とここには来ないだろう。
代表者の氏名と連絡先、入館時間を記入して通路の奥に進んだ。
コンクリートの床と壁。
昼間だけど窓がほとんどない廊下は薄暗く、曇った蛍光灯がますます暗い気持ちにさせた。
すれ違うのがやっとの細い廊下はL字に直角に折れ、L字の底面にぽかりと扉のない入口が開いていた。
そしてその先には別の部屋へと続く通路があった。
通路と廊下には壁に沿ってパイプ椅子や背もたれのない丸椅子が無造作に並べられている。


「時間がかかるよ」


その通りで、すでに何組かが椅子に腰掛け待っていた。
通路から溢れた私たちは廊下の丸椅子に腰かけた。
コンクリートの壁にもたれるとコートの上からでもヒヤリと壁の固さが伝わった。
判決を待つ囚人のような気持ちとはこんな感じか。


ひとつ前の席には私たちよりも一回りほど年上と思われる夫婦が座っていた。
会話の端々に「おかあさん」という言葉と「だった」という過去形が聞こえ、たまたま二人が背にした壁に『火葬許可証はこちら』という文字と矢印が書かれた張り紙が目に入ったので、どちらかの母親が亡くなったのかなと思われた。
穏やかに微笑みあう二人に、スタートがこんな風な我々でもいつかは穏やかに語り合える日が来るのだろうかと、ぼんやりと思った。


通路の奥がにわかに賑やかになり、人の出てくる気配がした。
そしてその人物に目を奪われたのだった。

 


女王さまの凱旋


通路から現れた彼女はファー付きのピンクベージュのコートをひるがえし、背中まで伸ばしきれいに巻いた髪をなびかせて登場した。
読モをやってます、と言われれば納得するようなルックス。
その場にいるものを圧するような自信に満ちた眼差しに不敵な笑みを湛えた口元。
狭い廊下をランウェイの如くヒールを鳴らして下々の前を通りすぎた。
彼女がなぜ今日、ここにいるのか問うまでもなく全身全霊で訴えていた。


アタシ結婚したのよ、と。


さぞかしイケメンハイスペ殿方をゲットしたのかと思いきや、その後に続いて出てきたのはまた正反対のタイプだったのだ。
伸び放題の天然パーマに厚めの黒ぶち眼鏡、黒のトレーナーの胸にはデカデカとキャラクターのプリント。
見るからに純朴そうな彼はえへへへへへ~と心から嬉しそうに満面の笑みで小走りに彼女の後を追いかけた。
それだけではない。
その後ろから、さらに身なりに気をつかっていなさそうなご婦人が現れた。
今、大掃除してました、といった風情で髪も白髪だらけだったので母親か祖母か判断しかねた。
そしてその後をムッスリと不機嫌そうな、いかにも思春期真っ只中な中学生くらいの女の子がのそのそとついてきた。
ご婦人が女の子を早く来るようにせっつきながら我々の前を通過していった。


「一家総出?」


「………さぁ…?」


一団はまるで王様との謁見をすませ正に今、魔王退治の旅に出ようとしている勇者ご一行のようにぞろぞろと扉を開けて出ていった。


もちろんね。
バカにするつもりはありませんよ。
ただ、この場にキメッキメで来る彼女とそこまでこだわりのないお二人の価値観のズレは大丈夫なのか少し心配になったが、少なくともあの嬉しそうな彼の顔を見れば彼女は愛されているのだろう。
少なくともドナドナ状態の我々よりはよっぽどまっとうだと思った。

 


オワリトハジマリト


勇者ご一行に圧倒されているうちに列は先に進んでいた。
数分の後、


「ありがとうございましたッ(ガツッ)痛っ」


と慌ただしく扉が開くと三十歳くらいの男性が2、3歳くらいの女の子を小脇に抱えて出てきた。
年末の今日でも仕事なのか、それともこれから妻の実家にでも寄るのだろうか。
紺のコートの下からネクタイが覗いていた。
女の子は


「ぶーん」


と言いながら空を飛ぶようなポーズを取ってはしゃいでいた。


「こら、暴れない」


そう言いながら反対側の腕で抱えたビジネスバックを落としそうになりながら足早に外へと出ていった。


お姉ちゃんになったんだね、おめでとう。


続いて私たちの前のご夫婦が扉に吸い込まれて行くと同時に、一人の男性が廊下の丸椅子に大きなため息と共にドカリと腰かけた。
大きなリュックサックからバサリと書類の束を取り出すと自分の膝の上に投げ出すように置いた。
そのまま壁にもたれるように天を仰ぎ放心したような眼差しで空を見つめる。
壁の向こうからはくぐもった声と時折笑い声が聞こえたがその間、男性は身動ぎひとつしなかった。
かなりの時間が経ったような気がした。
壁の向こうがふと静かになった瞬間、男性の口元がふぅっと緩んだ。
そして勢いよく膝の上の書類に一心不乱に書き込みはじめた。
書類が脚から滑ると緑色の印刷が見えた。
自宅で準備せず不安定な膝の上であの書類を書いているのは、もしかしたら思い出の詰まった部屋で書きたくないというささやかな抵抗なのかもしれない。
筆は止まらない。
そして私たちの番がきて、その場を後にした。

 


区役所ではいくつもの始まりと終わりが交差する。
その裏側に、いくつもの物語を潜ませて。
そして終わりは新しい始まりへと続いていく。
この日偶然にすれ違った人々の物語がその後どうなったのか、知ることはできないけれどあの時よりも明るいものになっていることを願うのでした。