バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

激動の1年でした。

年間300日スーツで過ごす女、バリキャリ乙女のイシイド マキです。


みなさま大変ご無沙汰しております。
お元気でしたか?


私ごとですが、先日入籍いたしました。
いや、このブログってば婚活のブログじゃない。


このブログを読んだら結婚できるよ


とか言うつもりは微塵もないのだけど、せっかくの経験をなぜネタにしない。
入籍しといてそこに触れないってブロガーとしてどうなのよ、という内なる声に耳をふさぎつつ。
のそのそとこんなに時間が経ってしまいました。
で、今日なら話せるような気がする。
そんな訳でこの1年、私に起こっていたことをお話しようと思います。

 


時系列でご説明します


一昨年の元日、かねてよりお付き合いしておりました『若さま』(とっくに別れたと思ってただろー 笑)からプロポーズしていただき、両家の挨拶、顔合わせととんとんと進み10月頃に同居を始めました。
その頃は「入籍どうする?」と私が尋ねると「忙しいし、まだいいよね」なんて返事が返ってきてたんですよね。
ふーん、そんなもんか。
さほど気にも止めていませんでした。
私と若さまの職場は愛知県をほぼ縦断するくらい離れていて、お互いの中間をとったところに居を構えました。(賃貸アパートだ)
ところが。
元々1時間と少しかけて通っていた若さまに対し、イシイドの実家から職場までが車で2、30分の距離だったイシイドの通勤時間は1時間~2時間に爆増。
若さまは交通事情がよく若干の時間短縮になったが、イシイドは地図上では40分程度と見込んでいたのに渋滞でとても通える状態ではなくなった。
仕方なく、交通量の少ない土日だけ新居に行くという週末婚の状態になった。


そんな中、イシイドに異動の話が持ち上がった。
本当は営業の仕事に未練があったのだけど、その他諸々の事情とお偉いさんの外堀を埋めるような説得に断るに断れなくなって受けてしまった。
もちろん通い難くなったこと、週末婚を「仕方ないよ」と言いながら不満げな若さまの様子も背中を押したのだけど。
そしてこの時、異動の話は口外しないようにと釘を刺されたので本当に誰にも言わなかった。
しかしこれがマズかった。


当時の上司がこの事に激怒したのだ。


私が、私から上司を通さず上層部と異動の話をつけてしまったと誤解されたのだ。
私の補充として新人が配属されるまでの仕事をすべてこなしてから出ていけ、と。
つまり3ヶ月分の仕事を1ヶ月でやれというのだ。
そして当時の上司はとにかく言葉が悪くキツイ。
ことあるごとにお叱りを受けた。
営業所の雰囲気は殺伐とし、「困るけど、めでてぇことですし」と言ってくれた後輩たちにも迷惑をかけた。
やることなすことが裏目に出てどんどん追い込まれていった。
針のむしろようで、いっそ退職すれば良かったと思うほどだった。
中でも、


「お前の都合で勝手に引っ越しておいて、通えません異動したいですなんて勝手が通るか」


この言葉で自分の中で何かが崩壊した。
私みたいなのが結婚したいなんて思っちゃいけなかったのだ。
粛々と仕事だけこなす人生なら周りに迷惑をかけなかったのに。
この状況はすべて『結婚』がもたらすものだと思い込んだ私は『結婚』に対してどんどん後ろ向きになっていった。


最終的に当時の上司とは話し合いを持つことができ、和解に至った。
一応謝罪の言葉はもらったけれど、実はこの出来事が深い深いところにまで根をおろしていた。

 

 


四月になり、異動と共に拠点を新居に移した。
職場はぐっと近くなり通勤は楽になったが実家からは少し距離ができた。
車で往復3時間の距離は思った以上に難儀で、自然と足も遠退いた。
そして一番大きかったのが、これまで歩合制の総合職から一般職になることで手取りの給与が激減した。
さすがに今までの調子で買いたいものを買っていては、あっという間に貯金が底をついてしまう。
お金についてはかなりのストレスがかかっていた。
新しい職場は人間関係はアレだったが、直属の上司には恵まれた。
任された仕事も自分に合っていて、これなら給料が減ってもやりがいは変わらない。
家事にも慣れた。


順調。


そう思おうとした。
夏の始まりを感じる頃、若さまが「籍はどうする?」と尋ねた。


「まだ、忙しいから」


そう答えた。
本当は『結婚』についてまだわだかまりがあった。
もちろん若さまのことが嫌なのではない。
私は『結婚』してはいけない人間なのではないか。
私が『結婚』するとまた周囲に迷惑をかけるのではないか。
そんな思いがグルグル巡った。


夏の終わり頃にも同じやり取りをしたけれど、その時には私の気持ちは少し変わってきていた。


若さまの実家は自宅から30分くらい。
頻繁に実家に帰り泊まってくる。
職場も変わらず。
通勤も変わらず。
友達付き合いも変わらず。
彼はなにも変わらないのに、なぜ私ばかり失わなければいけないのだろう。


もちろん、若さまにだって色々な負担はあったと思う。
帰ってきてご飯食べて寝るだけの旦那とは違ってちゃんと家事もしてくれる。
文句を言ったらワンオペで苦労している主婦のみなさまから袋叩きにされてもおかしくないほど良くできた旦那だ。
それでも当時の私には自分ばかりが損をしているような気持ちになっていたのだ。
私は全て失った。
私に残されたものは何がある?
名前だ。
唯一私に残された『名前』を守らなければ、そう思いつめていった。
私の『名前』には私の『歴史』が詰まってる。


夫婦別姓


まさが自分がそんなことを言い出すとは思ってもみなかった。
私はこの年まで仕事ばかりしてきたが「男に負けるか!」なんて気持ちはサラサラないし、ガチガチのフェミニストでもない。
男女同権とかそんなものじゃなくて、ただ私のアイデンティティの問題だった。


秋になり、若さまからのプレッシャーが強くなった。
そして騙し騙し書いていたブログが書けなくなった。


『わたし』と『イシイドマキ』は極めてイコールの存在だ。
ブログに書いてきた意見や出来事は嘘偽りない本物だ。
個人を特定されないようにぼかしたり、言わなかったり、ちょっとだけ誇張したり。
でもそれは、もしも本人がその記事を読んだときに傷つけたりしないようにするためで、記事そのものを面白おかしくするためではない。
だけど決定的に違うところがひとつできた。


『イシイドマキ』は婚活していて『結婚したい女』だ。
一方『わたし』は『結婚したくない女』になってしまった。
このブログはメインのテーマが婚活でその根本が揺らいでは嘘になる。

 


クリスマスが間近に迫った頃、若さまが「はっきりさせたい」と言った。
私が籍を入れたくないというのに何か理由があると思ったのかもしれない。
籍を入れたくない理由はひとつ。
名字を変えたくない、ただそれだけだ。
名字さえ変わらなければ籍などどうだっていい。
夫婦別姓が認められているなら籍なんてすぐにでも入れた。
だけど今の日本は入籍したらどちらかの姓を名乗らなければならない。
国会で夫婦別姓の議題で議員がヤジを飛ばしたとかニュースになるが、誰がヤジを飛ばそうとかまわない。
決着をつけてくれ。


「そんなの最初から分かってたことじゃない」


私だってそう思ってた、最初は。
逆に若さまがなぜ籍を入れたいのか聞いてみた。
一緒に住んで長いのにいまだに籍を入れないことに周り(親、親戚、会社)からのプレッシャーがストレスなのだと。
けじめがない、とも。
けじめというなら、事実婚ではいけないのか。
籍は入れなくても公に届けを出すのだからそれがケジメだ。


「そんなの親が許すわけがないよ」


「じゃあ、あなたの気持ちは?周りの意見ばっかりじゃない。
別に男の人が名字を変えたっていいんだよ。
私は変えたくない、だけど変えなきゃいけない私の気持ちを考えたことある?」


「そんなの考えたこともないし分かるわけないよ。
みんな普通に変えてるのになんで変えられないの?
婚活して結婚するのに籍を入れられないなんて思うわけないでしょ。
籍が入れられないならマキちゃんのことは選ばなかった」


ああ、無理だ。
この人とは一生わかりあえないと思った。
私だって本当に彼が私の名字にしてくれるなんて思っていない。
だけどせめて考えてみてほしかった。
私がどれ程辛い思いをしているのか、分からなくても分かろうとしてほしかった。
考えて分からないなら仕方がないし、もしも私の名字にすると言い出したら私から「そういう訳にはいきません」と断っただろう。
彼の基準はみんなで周りで「普通は」で、私の気持ちなどどうでもいいのだ。
だが、すでに両親を巻き込み、会社を巻き込み、同居している。
これをなかったことになんてできない。

 


次の休みに実家に帰り、必要書類を集めた。
父にも、急に籍を入れることになったと保証人になってもらった。
アポもなく訪れ、無表情のままの私を不審に思っただろうが父は「おめでとう」と言ってくれた。
自宅に戻り、書類を手渡すと「ん」とだけ言ってソファの上に置かれたままになった。
明日の朝までそのままだったら破り捨ててやろうと思ったが翌朝にはなくなっていた。


いつ提出しに行くという話もないまま数日が経ち、クリスマスの直前に「いつ出しにいくか」尋ねられた。
もう、好きなときに勝手に出しておいてほしかったが、一緒に行くらしい。
結局日柄を選んで、クリスマスでもクリスマスイブでもない大晦日になった。
もしもイブだったら、少しは私の気分も上がっただろうか。


晦日当日まで粛々と過ごす。
当日も余分なことは考えないようにひたすら無心で過ごした。
区役所に着いて、実は、そこでまたひと悶着あって号泣することになったのだが、それはうちの恥なので割愛させていただく。
ただ、知らない人が見たら我々は離婚届を出しに来たカップルに見えたに違いない。
書類は時間外窓口で受け取られ、年明けに処理されるのだという。


毎年、母はお節料理を作るので重箱を持っていらっしゃいと呼ばれていた。
正月といっても、私は三日から仕事だったし彼も二日の日には新年会でいなかったので、ゆっくりお節をつつくなんてことはないのだけれど、ありがたく頂戴した。
わずかな時間だけど実家での家族そろってのあたたかい時間。
父が妹を送りに行くと、母と二人きりになった。
以前別姓にしたい話もしていたし、今日の入籍の報告もしていたけれど、改めて二人になって「大丈夫?」と聞かれると涙が止まらなくなった。
母親に愚痴を言うと、何かとダメ出しをされてげんなりするので社会人になってからは母親に相談することはなくなっていた。
だけどこの日は声をあげて泣いた。
小学校のころ、いじめられてもう学校に行きたくないと、公園のベンチ、母の膝で泣いたあの時のように。


こうして、令和元年の終わりと共に『わたし』は消えた。

 


すべては考え方


あれから数ヶ月経ったけれど、未だに喪失感に襲われることがあります。
実際には『わたし』自身は何も変わっていないのですけれどね。
それと、誤解しないでいただきたいのですが、私は今、しあわせです。


晦日の日、Twitterで入籍の報告をしました。
ブログもTwitterも放置の状態で、みなさんは私のことなんて忘れてしまっただろうと思っていたのに。
思ってた以上に多くの方におめでとうと言っていただきました。
その言葉のひとつひとつが、これはいいことなんだよ、と教えてくれたからです。
本当にありがとうございました。

 


入籍してから「新婚さん?幸せだね」と言われることが増えた。
一種の定型文だとは思うけど、その言葉に少しだけ疑問を感じた。
しあわせってクリスマスツリーのようなものじゃないかと思うのです。
このブログを始めた頃は、結婚したら豪華なクリスマスツリーがまるごと手に入る、そんな風に思っていたのかもしれません。
だけど結婚なんてツリーの飾りに過ぎなかったのです。
中にはツリーのトップのお星さまの様に華々しく飾りつける人もいるでしょう。
だけど私にとってはもっと地味で小さなものだ。
位置を変えることだってできる。
不要になれば取り外すことだってできる。
人生の要素のひとつに過ぎないのです。
それよりもツリー自体をどんな大きさで、どんな風に枝葉を伸ばすのか。
自分のしあわせの形を描けるようになりたいと思ったのでした。

 


最後に


本日3月11日を持ちまして、『バリキャリ乙女のイド端会議室』三周年です。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。