バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

削られた心はかき氷のように

こんばんは、年間300日スーツで過ごす女、バリキャリ乙女のイシイド マキです。


新しい職場にも慣れ…慣れたのかなぁ…
ともかく、新しい環境には新しい人間関係が生まれます。
今日はそんなお話。


職場の捻れ


社会人になると上司や部下、同僚であれば先輩や後輩という関係ができますよね。
通常であれば上司や先輩は年上で部下や後輩は年下です。
ところが終身雇用は砂の城のように崩れ去り、新卒、第二新卒、転職、独立入り乱れ、昇進だって実力主義のこの時代。
年下の上司、年上の後輩はどこの職場にも当たり前に存在するようになりました。
だけどアタマがついていかないんだな。
だから『先輩』『後輩』の定義が人それぞれになってしまう。


年齢が上なら問答無用で先輩。
年下でも社歴が長ければ先輩。


大抵この辺りのところでちょっとウッと躓く。
私の前いた営業所ではこのパターンにはまったケースがあった。
年上だけど営業経験のない新人営業マンと年下だけどベテランの営業マン。
この二人はお互いを立てて敬語で話すが時々タメ口、よそよそしさはなく冗談も言い合える関係を築いていた。立派!
大人ですもの、こういう柔軟な関係っていいよね。


では年上で社歴も長くこの部署に初めてきたけど別の業務をしてる人ってどうですか?
ええ、私のことなんだけどさ。

 


私のことがキライなのは分かったよ


長々と何の話をしているかというと、どうも私はその人に嫌われているらしい。
まぁ、私としゃべった後にあからさまな『サイン』が現れるのですぐに分かる。
電話の取次ミスや書類の提出先の間違いなど、些細っちゃ些細だけどされるとイラッとくるミスを私はやらかす。
迷惑をかけたのは申し訳ないと思うし繰り返さないように反省もする。
だけど逆の立場なら、私はそんな態度は取らないのよ。
仕事って順調なことだけじゃないし他人の失敗も含めて仕事だと思うのですよ。
開きなおるわけじゃなくね。
その人が幼い人なのだ言えばそれまでだけども。
ただね、挨拶を無視するのだけはカンベンしてもらいたい。
みんながいれば挨拶もするけど、一対一だとハッキリ無視しやがんのね。
気にしなきゃいい?
いやどうにも気になるし。
先輩とか後輩とかそういうことを抜きにしても、その人にとって私は無視してもいい相手という認定なんだと思うとモーレツにヘコむ。
おかげ様で翌日その人に話しかけなければいけない用事があると分かってたりすると、夜中に胃痛で目が覚めたり下痢や便秘を繰り返す。
メンタルは強いはずだったんだけどなぁ…

 


心が削られるというけれど


さて、『心が削られる』という表現がある。
キツい言葉や罵声など、分かりやすく傷つけるのでなく、じんわり痛めつけるやり方は周りにも気付かれにくいので助けも求めにくい。
切り傷よりも打身に近い。
私たちは『心』というものを持っていて、それを軽く感じたり重く感じたり磨いたり傷をつけてみたり時に遠くへ飛ばしたり深い海に沈めてみたりする。
嫌なことが続いたりすると、自分の持ち物である『心』がすり減って疲弊したと感じるものだ。
だけどすり減るのなら質量として軽くならなければいけないのに、こういうときはむしろ重く感じる。


なぜだ。


私たちが重く感じるのは削られた元の『心』ではなく、削られてできた『心のカス』が増えるからなんじゃないだろうか。
嫌なことがあっても、ちょっと美味しいものを食べてぐっすり眠ったら元気になれる。
つまり平常であれば『心』の素はちゃんと休息をとれば元に戻るのだ。
本来『心』って結構丈夫なもの。
一方『心のカス』だって少量ならすぐに消えてしまう。
だけど、『心のカス』が消える前に心を削り続けると『心のカス』ばかりが増えて溜まってしまう。
これが重さの原因だ。
まるでかき氷製造機。
私たちは誰もがこのかき氷製造機を持っていて、そしてこのかき氷製造機は意外とあっさり暴走する。
どんどん氷を補充して特大のかき氷を作ってしまう。


だけどきっと『心のカス』の山は、かき氷のように日向に出したら溶けてしまうと思うのね。


減った『心』はちゃんと増える。
それから『心のカス』はいずれは溶ける。
そして少しでも早く溶かしてくれる日向の存在。
私はそれを信じて心のかき氷を作りつつ、日々日向を求めてうろうろしている毎日です。


あなたの日向はどこにありますか?


もしも人間関係で悩んだら、そんなことをイメージしてみるといいかもしれません。