バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

エゴコロコンプレックス

こんばんは、年間300日スーツで過ごす女、バリキャリ乙女のイシイド マキです。


先日大盛況に幕を閉じた阿豆らいち原画展に行ってきたよ!の後日談と若かりしころのイシイドの話でございます。

 


なっちゃんと私


阿豆らいち(id:AzuLitchi)イラスト原画展『銀座のヒミツ基地』はオリジナル漫画『イージーランサー』の原画を始めブログで紹介された美麗イラストの数々が飾られていました。

 

www.secret-base.org


来場者の皆様からのファンアートを飾るコーナーもあり、らいちさんの人気の高さが伺えます。
その中で妙に人気の高いおにぎり屋のこの女の子。

 


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『イージーランサー』第1巻の設定資料をみるとどうも『サクラ』ちゃんと名前があるようなのだけど、私は『なっちゃん』と呼んでいます。
なぜなら子供の頃の友人なっちゃんにそっくりだから。
そして、このなっちゃんがいなければイシイド マキも誕生していなかったハズ。


なっちゃんは転校生でした。
小学5年生の時に近所に引っ越してきた同い年の女の子。
サクラちゃんのように丸顔でクリクリとした目、丸いメガネ。
いつもニコニコと笑っていて、すぐにクヨクヨする陰キャのイシイドには眩しい存在だったけど、同じ部活に入り行きも帰りも一緒に学校に通う。
イシイドにとって初めてできた親友だったのです。


なっちゃんには『少女漫画家になる』という夢がありました。
おうちに遊びに行くとノートにえんぴつで書いたマンガを見せてくれました。
ストーリーはよく覚えていないけれど、小学生としてかなり本格的で上手だったと思う。
自分の作品をキラキラした瞳で見てほしいという彼女のことが大好きだった。
当時の私はこういう子がいずれプロになるのだろうと思ったし、心から応援しようと思っていた。
やがて中学校に上がり、私たちは合唱部に入ります。
1学年上の幼馴染みの先輩の猛烈なプッシュがあったから。
そして、その先輩のお陰で(?)我々はアニメオタクの道へ足を踏み入れることになるのです。
部活帰りになっちゃんの家に集まってビデオを見たり、アニメ雑誌の貸し借りをしたり。
マンガがアニメになったけれど、私たちは変わらず楽しく過ごしていてこのまま大人になっていくのだと思っていた。


ある時、地元の大学の学園祭に行くことになった。
確か、先輩のお姉さんが通っていたのじゃないかと記憶している。
その学園祭で私たちは『同人誌』というものに出会った。
『同人誌』とはシロウトさんの自費出版だ。
コピーとホッチキス止めという簡単なものから印刷屋さんで製本してもらったものまで様々だ。
それでもなっちゃんには大学ノートに描かれた少女漫画よりも輝かしく見えたに違いない。
どんな経緯があったかはわからないけれど、なっちゃんはこのアニメ研究会の同人誌に参加することになった。
そしてなぜだかイシイドも参加することになった。


そう、つまるところイシイドは中学二年生で同人誌デビューをしていたのだ!


しかも何をトチ狂ったか漫画だ。
当方に絵心の欠片は塩粒一粒ほどもない。
だがなっちゃんに付き合って画材屋さんに行き、それなりの道具を揃えた。
当時主流だったGペンがうまく使えず私は丸ペンを好み、そして無駄にスクリーントーンを貼りまくった。


大学生のお姉さんたちも、おそらく我々中学生に期待などしていなかっただろうがページ数と参加費が欲しかったのだろう。
私のよくわからない4コマ漫画は後ろの方にひっそりと載せられていた。
当時の私は立派に製本された本を見て、己の下手さに本気で膝から崩れ落ちた。


ああ、私は絵は描いちゃならねぇ。


そうハッキリと自覚した。
多分三冊ほど発行されたはずだけど手元には一冊も残っていない。
もし見つかっても黒歴史過ぎてその場で即刻焚書だ。
願わくば、この世から消え去っていてほしい。
心からそう願う。


そして一方なっちゃんは。
画風が完全に少女漫画だった彼女にとってアニメの同人界は少し合わなかったのかもしれない。
その後、彼女が漫画を描いている姿は見ていないように思う。

 


なっちゃんとは別々の高校になってから、急速に距離が離れていった。
絵心がないことを思い知った私は演劇部に入った。
性懲りもなく『声優になりたい』と思ったのがきっかけだったが、演劇の世界にどっぷり浸かり紆余曲折あってアニメの世界からは足を洗った。
ただ、あの時同人誌の世界を垣間見なければ、今こうして何かを発信する『作り手』側にいたいという思いは持たなかっただろうと思う。
『イシイド マキ』は少女のころ、なっちゃんと過ごしたあの日々に、確かにつながっている。

 


エゴコロコンプレックス


さて。
らいちさんの原画展に遊びに行ったとき、私にもファンアートを勧めてくださった。
絵心のある方は「ラクガキ程度でいいからさ」と簡単に言ってくださるのよ。

だが、我々エゴコロナイ人種のラクガキなど、丸をぐるぐる書いたり線を重ねてアミカケしたりするような、絵ではなく幾何学模様であることがほとんどだ。
もはや呪術の世界だ。
そんなものをこの華麗なる壁面へ掲げることは許されない。
というわけで私は頑なに固辞して、紙に口紅を塗ったくるという暴挙でお茶を濁した。
らいちさん曰く保存してくださっているそうだけれど、多分今頃油でギットギトになっているだろう。
こりゃもう、面目ない。


だけどね。
日常に戻ったある時。
原画展の興奮が覚めやらなかったのか、なっちゃんを思い出したのか。
ふと思い立ってラクガキしてみた。
メモ帳に、電話の保留音を聞きながらえんぴつで書いたメガネとハイヒール。
ねっねっ、結構それっぽく書けました。
コンプレックスをはねのけて、書けばよかったなぁ。
少しだけ、そんな後悔が残ったのでした。



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