バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

天気が転機だったのかもしれないと言ったら笑ってくれるだろうか

こんばんは、年間300日スーツで過ごす女、バリキャリ乙女のイシイド マキです。



アラフォー、独身、転職なし。


ワタクシを身も蓋もなく且つ簡潔に説明するとこうなる。

そんな私に


『あなたの転機はなんですかぁ?』


と容赦なく且つ大胆に更には無邪気に斬り込んでくるたぁ、畏れ入る。

だってイシイドは就職こそしたけれど、女の三大転機『結婚』『出産』『再就職』はどれも経験したことがないんだもの。

では、そんなイシイドの転機とは?


それは『あの時、辞めなかったこと』だろうか。


新社会人、イシイド マキ


イシイドが入社した年は、うちの会社にしては珍しく大量採用した年だったらしい。

営業だけで40名ほど、その内10名が女性だった。

恥ずかしながら離職率の高い会社で、1年で新人は半分も残らない。

今となっては同期で女性は私ひとりだし、全体でも10人残ってるかな?

そんな中で、イシイドは今年も勤続年数を更新した。

えらいぞ、私。


意識だけ高い系新人がハマるケース


さて。

新人時代、夢と希望に満ち満ちていたのは同期と過ごした研修期間だけでした。

期待に膨れ上がった胸が、配属されてしゅるしゅると音を立ててしぼんでいくのが自分でも分かった。

(ええ、貧乳ですとも)


私の先輩達は非常に優秀だった。

社内はもとより、全国的にも表彰されるレベルだ。

だから新人の、しかも女の私など相手をしているヒマはない。

たぶん、入社から5年目くらいまではいないものとして扱われていたように思う。

たまにやって来たお客さまも、私が声をかけると『代われ』と目で合図されてしまう。

もう引っ込むしかなかった。

営業の世界は、自分からフトコロに飛び込む積極性がなければ無能とされる風潮であることが多い。

だけど、あんな怖いお兄さんたちに話しかけるなんてムリ。


私は来る日も来る日もぽつんと受付で鳴らない電話の前に座っていた。


『このままでは、私の若さが無駄になる』


今だったら後ろからどつき倒したくなる発想だけれど、当時の私はそんなことを真剣に思い詰めていた。


私には絶対に諦めたくない夢があって、それでも、最低三年は『普通の会社勤め』を経験してから夢に向かって飛び込む、という野望を持っていた。

それなのに。

こんな、ただ座っているだけの拷問のような毎日。

本当は仕事って自分から見つけて作っていくものなんだけどね。

とても耐えられなかった。


ついに大嫌いな上司に「辞めます!」と宣言すると、初めて勝ったような気持ちになって気分が晴れ晴れとした。


ところが、嵐がやってきたのです。


嵐が狂わせたのはココロか生活か


嵐といっても、スーパーアイドルでもなければドラマーでもない。

最近は毎年各地で起こる災害レベルの豪雨が、イシイドの町にもやって来たのだ。


「よく降るねぇ」


から


「さすがにヤバいんじゃない?」


に変わった頃には道路が冠水して車が出せなくなった。

うちのお店は少し高台になっていたので、ほとんど被害はなかったけれど、1キロも行ったところは腰まで浸かるような深みができていたそうな。

公共交通機関は止まり、店は帰宅困難者の避難所のようになっていた。

食事が出せるわけではないが、僅かな飲み物とトイレ、そして屋根を提供することができた。

イシイドも置いてあった制服をずぶ濡れの女の子に貸してあげたりもした。


そうして、ようやく雨が落ち着いたのは朝の3時頃。

なんとか帰宅できたのが4時。

つかの間の休息で眠りについたのたけど、待っていたのは地獄のような日々だった。



翌朝、まず会社にたどり着けなかった。

普段車で50分ほどの道のりが6時間かかった。

途中何度も会社に電話をして、ようやくつながって「遅れる」旨を伝えたところ、


「わかっとる。そんなことぐらいで電話してくるな、バカ野郎!」


と怒鳴られた。

無理もない。

運悪く、定時で到着できてしまった先輩は、たったひとりで鳴りやまない電話対応に追われていたのだ。

災害時、会社への安否確認は少し落ち着いてからでいい。

身をもって覚えた。



幸いなことに、私たちの周りで死者が出たり、取り返しのつかないような不幸に見舞われた人はいなかった。

それだからか、こぞってやってくるお客さまは『いかに自分が死にかけたか』を自慢げにお話になる。

イシイドはそれをふんふんと聞いて、


「それは大変でしたね。

でも本当にご無事で良かったです」


と心を込めて言うことしかできなかった。

イシイドが店でふんふんしている間に、男性社員は救助や救援に奔走していた。

なにもできない自分に苛立ちを覚えたが、私がここで店を守っているからこそ、彼らが自由に動くことができるのだ。

知恵も知識も力もない。

だけど、出社して、いるだけで私は役に立っている。

28連勤した朝、不意にそう思えた。


まあ、それは社畜沼に腰まで浸かった瞬間でもあった訳だけど。


28連勤なんて、今の世の中じゃ完全にアウトだけれど、災害時の緊急事態ということでお許しいただきたい。

そんな生活が二ヶ月ほど続いた頃には、イシイドの退職バナシはうやむやにされ、今に至っている。

あれから何度か辞めるの辞めないのという話は出たけれど、この時が一番真剣に『離職』に近づいた瞬間だったと思う。


振り返れば転機


何か壁にぶち当たる度、


『あの時、本当に辞めていれば』


という思いに駆られる。

それを後悔というのかもしれないけれど、思い返すのはこの時なのだ。

あの時、この仕事を辞めていたら。


今頃、子供を2、3人小脇に抱えて電動ママチャリで爆走する愉快な家庭を築いているに違いない。


今頃、鳴かず飛ばずでも、ちょっと他人と違った憧れのあの世界で満足した生活を送っているに違いない。


今頃、ワーキングプアで我が身を呪いながらスピリチュアルな世界を暗躍してるに違いない。



どの『現実』になっていたとしても『あの時、仕事を辞めた』ことが『転機』になるのだ。

そしてあの転機で『仕事を辞めない』選択をしたから、今私はバリキャリとしてブログを書き、こうして皆さまに昔語りをお目にかけている。


華々しさなくとも、大きな大きな転機だったのです。


そうそう、ちなみに。

あの大っ嫌いな上司は、私の退職願を握りつぶしており、大雨が降っても降らなくも、自分の任期中にはすんなり辞めさせる気はなかったのだそう。

そういうところも大ッッキライだが、一応感謝しておくことにする。


若さまは転機になるか?


さて、蛇足の感もありますが、もう少しお付き合いくださいませ。


私、イシイドマキは婚活のすえ、『若さま』というひとりの男性とコミットにいたりました。

お互い忙しかったり、性格的なものもあってなかなか遅々として進展してはおりませんが、この若さまとの結婚はイシイドにとって転機となりうるのでしょうか?


婚活していた頃。

大抵の殿方さまは共働きを希望されていたものの…


「僕より稼がないでほしい」


と言われるのは序の口。

それまでにこやかにお話ししていたのに、イシイドの役職を聞いたとたんにむき出しの敵意で難しい話を始めたかと思うと


「あなたとは話が合いませんね」


と鼻で笑われたり。

(初対面で相手の役職を聞いてくるのもなんだかな)

イシイドの終業時間を聞いて


「仕事から帰って奥さんが家にいないなんて考えられない!」


と涙声で訴えられたり。

(アナタ、これまでの人生で『奥さんが家で待ってた』ことってなかったですよね?)


そんな方々を数多く見て参りましたので、若さまに『専業主婦になりたい』と言ったらなんと答えるだろう?


「え?

辞めたいんだったら辞めてもいいけど、マキさん、しごと大好きだよね (にっこり)」


悶絶。


まだお会いしたことはないが、若さまの母上は定年までしっかり勤めあげたバリキャリの中のバリキャリなのです。

そしてお姉さまもバリバリお勤めされているるらしい…


そう。

若さまはバリキャリより出でて、バリキャリによって培養された『高バリキャリ耐性』の希少種なのだ。

小さな頃から女の人が働くのはフツー、という感覚を持っている。

バリキャリ、バリキャリ予備軍のお嬢さま方にとっては、お相手さまの母親もバリキャリであることはかなりポイントが高い。

是非とも判断基準に加えていただきたい。


「いたかったらいてもいいけど、家に閉じ込めちゃったらかわいそうでしょ?

家にいてウツウツとされるくらいだったら、外でのびのび働いてくれた方が絶対いいよねー

僕、家事って結構好きだし」


憤死。


というわけで。

若さまとの結婚がイシイドの転機となる可能性は極めて低い。



わたしの転機は、

んー、定年になるの…かなぁ。

それはそれで楽しみだ。


まだ見ぬ転機に思いを馳せるのでした。



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