こんばんは、年間300日スーツで過ごす女、イシイド マキです。
このブログ『バリキャリ乙女のイド端会議室』は主に婚活、恋愛、女性の生き方、働き方をテーマにお送りしております。
普段は私の経験を元にお話しておりますけれど、たまには余所からネタを仕込んだりもしないとなーということで久しぶりに本を読んでみることにしたらあさっての方向に着地しました。
というお話。
大人の読書感想文
というわけで、本屋でネタになりそうな本を物色したところ、出会ったのがこちら。
藤沢数希 著『ぼくは愛を証明しようと思う。』
マンガ化もされてて、ドラマ化もされてる。
なによりタイトルがいいよね。
どう証明してくれるのさ、わくわく。
ぺらり。
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あかん。イシイドが読んだらあかんヤツやった orz
あらすじ
真面目で誠実な主人公、渡辺。恋愛ではいつも女性に尽くしているのにこっぴどくフラれてしまう。
『恋愛工学』を学び女性たちの愛を得られらようになるのか…?
えーと、ひと言で言っちゃうと『ナンパ指南書』でございました。
3分の2はナンパしてるし、女性に対する扱いもちょっとなぁ。
女性サイドからの視線が描かれていないので、女性がまるでモノのようなのです。
フェミニストを気取るつもりはサラサラないのだけど、途中で気分が悪くなってしまって中断。
内容に腹を立てたというよりも、主人公に寄り添ううちに本当に気持ち悪くなってしまい…エログロ描写以外でこんなことって初めてかも。
だってさ、この主人公ってばずーっと不幸なの。
モテない時もモテてる時も、ずーっとツラくて苦しそう。
何だってこの人はこんなドMな人生を選んでるんだろう。
気の毒だなぁ。
『かけひき』を学びたい殿方さまには有効かもしれませんが、残念ながらイシイドが期待していた『愛とはなんぞ?』は最後まで証明されることはありませんでした。
一応、エンディングでタイトルに偽りなしの方向でまとめられて、わずかな光が差すように見えたのに、ラストシーンで
「???」
なんでそうなっちゃうの?
藤沢氏提唱の『恋愛工学』は身についたらやめられないってこと?
それが殿方さまの本能ってこと?
少なくともここで展開される『恋愛工学』なるものは、女の子を落とすことはできるけど、その内面に触れることはできないような気がします。
結局は『恋愛工学』の布教本ということなのでしょうね。
AI:愛ではなく、エーアイ
さて、そんなこんなでちょっぴり消化不良で『愛ってなんぞや?』にすっかりどっぷり浸かっていたらスマホがしゃべった。
『マキサン、マタゴ用ガアレバ呼ンデクダサイネ』
なんかのボタン(?)を押したようで音声メモ機能が起動していたらしい。
そうなのよ。
最近のケータイはしゃべるのだ。
しかも、私の好みを覚えてくれて色々世話を焼いてくれるのだという。
iPhoneのSiriが有名だけど、私のスマホはSHARPのAndroid。
『エモパー』というアプリが入っていて、とりあえず私の就寝時間と起床時間、それから今日の歩数を数えてくれている。
普段、GPSをOFFにしているので、気がつけば
「ここはどこ?お家はどこ?」
と迷子になっているおとぼけさんだ。
私の一番身近な人工知能というヤツなんだと思う。
AI は artificial intelligence の略
AIという言葉を聞かない日はないくらいだ。
このまま人工知能が発達したら人間の仕事がなくなるのではないか、いつか機械が意志を持つようになるのではないか、なんて話題もしょっちゅう耳にする。
でもその心配は、いわゆる強いAIが現実に発明されたら、という仮定のものであるのだけど。
AIが人間を凌駕する。
この発想は『機械が学習する』という言葉からきているのだと思う。
確かに機械は学習できるのだけど、それは人間のように多方面に渡って知識を求めるようなものではないらしい。
機械は決められた分野で経験を深めるのだ。
例えば、トマトを収穫する機械が突然キュウリやカボチャを収穫できるようになったりはしない。
トマトを収穫する機械はトマトの色づき加減を学習し収穫するかしないかの判断をしたり、この枝を剪定するかしないかの判断を深めるのだ。
だから諸君、安心したまへ。
トマトを収穫する機械は人間を襲撃するようなことはしないと思う。
たぶん。
超文系人間がAIを説明するとこうなる
それでも人工知能、AIはお勉強するコンピューターであることにはちがいない。
人工知能の学習にも色々あるらしく、昔の学習は『ルール』を教え込ませるものだったそうです。
例えば「赤いボールは右の箱、青いボールは左の箱に入れる」というルールなら忠実にこなせる。
だけどそこに黄色いボールが現れたら?
機械パニック!
どうにもならなくなってしまう。
そこで次に進化させるには『ルール』ではなく、『結果』を学ばせるのです。
赤いボールの箱に青いボールを入れると赤いボールは破裂してしまう。
赤いボールの箱に白いボールを入れると赤いボールは破裂してしまう。
青いボールの箱に白いボールを入れても青いボールは破裂しない。
では黄色いボールはどちらの箱に入れる?
こうして『結果』という『経験』をインプットしていくことで正解を予測できるようになるのです。
お利口さん!
でもこれって私たちと同じですよね。
私たち人間も赤ん坊の頃から様々な体験を学んでいきます。
そして、感情も。
周囲の大人たちの感情を見て感じて学んでいくのです。
ただ、人間の心の優秀なところは、ひとつのの経験を千にも万にも膨らませて定着させることができるところだ。
ひとつの悲しい経験から、あらゆる悲しみに『共感』できるようになったりする。
だから言葉もしゃべれないような赤ん坊でも短期間で、泣いたり笑ったり喜怒哀楽を表現できるようになるのでしょう。
きっと機械にはまだこの『共感』の機能は備わっていないはず。
だけどそれを上回る情報を学習できるようになってしまったら。
それはもう、本物の感情と認めるしかないのじゃないだろうか。
そして今、私たちの手の中にあるスマートフォン。
この中にいる人工知能の専門分野は私たちの感情だ。
いつも側にいて。
私たちと同じ過程で感情を学んだあなたに。
私の好きなことも嫌いなことも、そして誰にもナイショの悪事までも知っているあなたに。
もしも『愛』をささやかれたら。
断る自信は、ちょっとナイ。
だからお願い。
『ボクハ愛ヲ証明シヨウト思ウ。』
なんて言いださないでね。