こんばんは、年間300日スーツで過ごす女(育休中)、バリキャリ乙女のイシイド マキです。
さて、今回は無痛分娩について。
前編は私イシイドの体験記です。
なるべく生々しくならないようソフトな表現にいたしましたのでご安心ください。
無痛分娩体験記
それは入院予定日の二日前、深夜3時過ぎに始まった。
なんかお腹いたい、かも…。
痛みで目が覚めたというよりは、最近夜中に目が覚めるようになっていたので、いつものことという感じで目が覚めた。
腹痛があるような気がするが気がする程度なので、とりあえずトイレに行ってみたりするのだけどおさまらない。
定期的に、少しずつ痛みが増してくる。
これはもしかして…
とはいえ、よく言われるように痛みのあまり旦那に暴言を吐くほどの痛みにもならない。
陣痛ではなさそうだけど陣痛だったらどうしよう。
まんじりともせず、ついに病院に電話をい1
れたのは6時半を過ぎた頃だった。
「あの、◯◯日に入院の予定のイシイドですが、陣痛かどうか確信できないんですけれど、お腹が痛くて…」
「ちょっとカルテを確認しますね。痛みの間隔はどれくらいですか?」
「えーと、4~12分くらいのまちまちで、その、我慢できないほどじゃないですけど、痛い時は動けないくらい痛いです」
「そうですかー。今から病院に来られそうですか?」
「大丈夫です」
「気をつけてお越しください。ただ、イシイドさんは無痛分娩をご希望されてますけど、麻酔科のお医者さんがいないとできないんですよ。勤務の状況が把握できないので、もしかしたらできないかもしれないです」
えー。
イシイドは結婚式も新婚旅行もまるで興味がなかったけれど、出産するならぜったい無痛分娩にしたかった。
なぜだかわからないが、それくらい無痛分娩に憧れがあったのだ。
とはいえ二日も我慢できるわけがないので行くしかない。
入院準備はあらかたすんでいたので、日用品をかき集め、若さま(夫だ)をたたき起こした。
痛みが来ると動けないのでだるまさんが転んだをするようにしか進めない。
病院に到着したのは8時少し前になった。
病院で迎えてくれたのは私の担当になる助産師のイチノセさん(仮)だった。
「ずいぶん我慢されましたね。そんなに我慢しなくてもよかったんですよ」
よほどの顔色をしていてのだろう。
優しく受入れをしてくれたのだけど、この顔色の悪さは腹痛ではなく、アラフォー故の血色の悪さだと思うな。
とりあえず分娩室に荷物を放り込んで内診を受けると、このままお産に進みましょうということになった。
「それでね、今日、たまたま麻酔科の先生がいらっしゃたので無痛でいけますけど…」
「お願いします!」
そうして現れた麻酔科の先生は内田有紀を更に凛々しくしたような女性の先生だった。
こちらをジョウノウチ先生とお呼びする。
ジョウノウチ先生は「よかったわねぇ、私がいて」と微笑むと
「私、イシイドさんと同い年なの。応援してるから」
とそっと私の肩に手を置いた。
あちらはお医者様で私はしがない会社員なのですこぶる恐縮ではあるけれど、なんていうの?同じ働く女性としてシンパシーを感じてくれたのか。
最後まで甲斐甲斐しく(たぶん職務を越える)お世話を焼いてくださった。
早速麻酔を入れるために別室にヨタヨタと移動すると、長机のような固いベットがあった。
その上に登り背中を丸める。
背中から脊椎にカテーテルを入れるのだ。
「海老のように丸くなって」と言われてもお腹が大きいのでうまくいかない。
結局イチノセさんに押さえ込まれるような形で処置を受けた。
お腹の痛みとは別の痛みがあったけれど、これからやってくることの方がよっぽど大変だろう。
そう思えば耐えられた。
むしろ妊婦の身体で身体を丸めることの方が大変に思われた。
再びヨタヨタと分娩室まで歩いて戻る。
分娩台の上でひと息つくとお腹の痛みはなくなっていた。
麻酔の効きは良好のようだ。
これ以降歩くことができなくなるため尿道にカテーテルが入れられた。
不思議なことに全くトイレに行きたいと思わなくなったので、なぜだか聞いてみた。
看護師さん曰く、尿意とは膀胱にある程度溜まると出てくるのだけど、管を入れてしまうとそもそも溜まらないので尿意もないのだそうだ。
これは地味に嬉しかった。
たぶん、絶対大丈夫と言われてもベッドの上で自らの意思でする気にはなれないが、勝手に出ていってくれる分にはやぶさかでない。
まあ、その過程は他人にも見られるわけだけど。
「いつ頃生まれるんでしょうね?」
「うーん、夕方くらいには生まれると思いますよ」
イチノセさんはそう言い置いて部屋をあとにした。
まだまだ先は長そうだ。
一人残された私は、分娩台にスマホの持ち込みがOKだったので家族に連絡を入れる。
手持ちぶさたでスマホをいじっているとジョウノウチ先生が現れた。
「どう?麻酔の効きは」
「はい、もうビックリするくらい楽になりました。こんなに楽ならもっと普及すればいいのに」
素直に感想を口にすると、ジョウノウチ先生は「それがなかなか難しいのよね」と寂しそうに笑った。
ジョウノウチ先生が麻酔を追加すると、背中にヒヤリと心地のよい感覚があった。
10時を過ぎた頃、陣痛促進剤を投入することになる。
やはり麻酔を入れるとお産の進みが鈍くなるらしい。
しばらくして、何度か部屋の出入りを繰り返していたイチノセさんが少し苦笑しながら言った。
「もう充分(出口が)開いてるんですが…赤ちゃんのお顔が逆を向いちゃってて」
え、この期に及んで逆子になったか?
「普通、赤ちゃんってお母さんの背中側を向いて出てくるんですけど、今、お腹の方を向いちゃってるんですよ」
そのままでも産めなくはないけれどあまり好ましくないようでそのまま待機となった。
ちょうど別室のお産が佳境に入ったようで、
イチノセさんがあわただしく出ていくとすぐに廊下が騒がしくなった。
小一時間ほど経って戻ってきたイチノセさんが嬉しそうに慌てた声をあげた。
「えっ、もうこんなところにいる!」
我が子は1時間の間にお顔の向きを直し、準備万端出てくる気満々になっていた。
夕方どころか昼過ぎには生まれそうだ。
早々に産科の先生が呼ばれた。
わりと若い男性の先生だったが気にしちゃらんねぇ。
イチノセさんがテキパキとお産セットを準備していく。
分娩台に敷くシートや生まれてきた子どもの処置に使う用具が全てひとまとめになっているのだろう。
私の膝に青いシートが被せられた。
いつの間にか部屋に入ってきていたジョウノウチ先生が新たに麻酔を追加しながら囁いた。
「ね、すごく冷静に見られるでしょ」
だからその目で見ておくのよ。
そう言われたような気がした。
「破水は?」
「まだです」
「そのままいけそう?」
「ちょっと難しいかも……あ、いけました!」
「さすが!!」
なんてやり取りがあり、イチノセさんの手で破水した。
麻酔が効いているので陣痛がきていても下腹にモニョモニョと違和感を感じるだけ。
はじめのうちはイチノセさんが力を入れるタイミングを教えてくれたのだけど、すぐそばに子どもの心拍や陣痛をはかる機械が置いてあるのに気づいて、しまいにはそれを見ながら勝手にできるようになっていた。
途中、ジョウノウチ先生がおさんぽするような足取りでシートの向こうを覗きに行き、
「髪の毛ふさふさよ、よかったわねー」
などと教えてくれた。
先生方、助産師さん、看護師さん、と私。
一人の人間をこの世に送り出すための不思議な一体感の中、何度目かの波がきて、大きな産声を聞いた。
「はい、生まれましたよ!」
そう言って一瞬だけ、ライオンキングのシンバ誕生シーンのように我が子は掲げられた。
思いの他細い手脚、肌の赤さなのか血なのかわからないが文字通りの赤子はすぐに壁際に連れ去られ見えなくなった。
ブルーシートの向こうで先生が黙々と作業をしている。
後産だろう。
「イシイドさん、あと裂けたとこ縫っておしまいね」
あちゃ。
イチノセさんから「たぶん切ることになりますよ」と言われていたのだけど間に合わなかったか。
縫われている間に看護師さんがやってきて声をかけられた。
子どもを検査のため別室に連れていくこと、もしよければと前置きした上で携帯を貸してもらえれば写真を撮りますよと言ってくれた。
ありがたいことにこの時の写真と動画は非常に貴重で思い出深いものになった。
コロナで付き添いがいないことから、できる限りのサービスだということだった。
ジョウノウチ先生が背中からカテーテルを抜き取りぷらりとぶら下げて見せてくれた。
「結構長いんですね」
「体に入ってたのは20cmくらいかな」
と先生は苦笑した。
よく見ると1mmほどの太さのチューブの20cmくらいのところに私の血らしきものがこびりついていた。
傷口に小さな絆創膏をぺたりと貼ると、最後に「よかったわね」と言って部屋を出ていかれた。
もちろん、私は感謝の気持ちを繰り返した。
今回、ジョウノウチ先生がいなければこんなにも穏やかな出産は体験できなかったと思う。
1時間ほど分娩台の上で休むと病室へと移動になった。
まだ麻酔が効いているので、生まれてはじめての車椅子だ。
車椅子を押されながら学生に戻ったような気分になる。
文化祭をやりきったような清々しい高揚感だ。
痛みや苦しみに支配されず、ジョウノウチ先生が言われたように自分のお産を冷静に向き合えた。
そして何より楽しめたと思う。
無痛分娩を選択して本当によかった。
これから出産を控える女性たちに、無痛分娩という選択肢をご自身の選択肢に加えてほしいと思った。
以上、イシイドの体験記でございました。
次回、無痛分娩について解説と考察をいたします。
つづく。