バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

断捨リズム ~本の森に住んでいる

こんばんは、年間300日スーツで過ごす女、バリキャリ乙女のイシイドマキです。

 

12月になりましたね。
このところ目にすることが多くなったのは『断捨離』の話題です。

 

『断捨離』しなきゃ!
『断捨離』しました!

 

今週のお題で『私が断捨離したいもの』でもやってるのかと思ったら、違うらしい。


でも、ありそう。
いや、あったのか?


先取りなのか、乗り遅れなのか分からないけど、勝手に『今週のお題』ということで『私が断捨離したいもの』

 

『断捨離』と『ときめき』と

 『断捨離』といいますと、盛大にものを捨てまくる、というイメージですが、ちょっと違います。

『断捨離』とは、やましたひでこ氏が提唱した片付け法のこと。
もともとヨガ(正しくはヨーガ)の思想で

 

断行 入ってくるいらない物を断つ

 

捨行 いらない物を捨てる

 

離行 物への執着から離れる

 

という修行の一環なのです。
なので、単純にものを爆捨てしたところで『断捨離』完了なのではなくて、物への執着を捨て続けること、ずっとingであり続けることが『断捨離』なのです。

 

とは言っても、世間的には『断捨離』=『爆捨て』の方が通りがいいので、このブログでもそんな意味合いで使っていきます。
あしからず。

 

『ときめき』は正義だ

 さて、お片づけと言ってもうひとり有名なのが『こんまり』さんこと近藤麻理恵さん。
(スミマセン、あんまり可愛らしいので『氏』という呼び方がしっくり来ないので)
『人生がときめく片づけの魔法』の著者で、『最も影響力のある100人』に日本人ながら選出されたお方です。
『断捨離』は国内での認知度はダントツだけど、『こんまり』さんはすでにグローバル。
ちょっと誇らしい気分になります。

 

そして『こんまり』さんの片づけ法、最大の特徴は『触れてみて、ときめくかときめかないかで捨てるかどうかを決める』という点。

 

『ときめき』『魔法』

 

もうね、この人のすごいところはことばのチョイスが秀逸なんですよ。
好きなものだけ残して、好きなものだけに囲まれて暮らす。
ある意味、執着から離れるという『断捨離』とは真逆の『欲』をベースに考えている。
にも関わらず、そこに全国の乙女たち垂涎の『ときめき』という言葉を使うことでエグみが消えるんですよね。
ニクいでしょ?

 

同じ不要なものを捨てて片づけるという、行動も結果も同じなのに、元になる発想は真逆という…
物事は色んな見方があるということですね!

 

そして当然、私は『こんまり』派です。

 

いつだって『祭り』は楽しい

 さて、『こんまり』ワードでもうひとつ大事なのが『祭り』
お片づけは一度に一気にやるべし!ということを『片づけ祭り』という表現を使っています。
色んな片づけ法があるなかで、

 

『毎日コツコツ5個物を捨てましょう』

『毎日コツコツ15分だけ片づけましょう』

 

というものもあります。
確かに習慣化というのも大事です。
ただ、元々きれいなお部屋をきれいに保つ方法としては有効ですが、すでに汚部屋レベルだともうおっつかないですよね?
ということで、『祭り』として一気に畳み掛けるのが正解のようです。

 

さて。

 

ここまでお読みいただいて、カンのいい方ならお気づきでしょう。

はい、ワタクシ、片づけられない女です。

もうねぇ、行き遅れのバリキャリが片づけられないってどんだけベタだって。
期待を裏切らずホントすいません。

 

私が『断捨離』したいもの

 とはいえ、イシイドの場合、アレさえ片づければ7割は解決するんですよ。

 

そう、『本』です。

 

イシイドは本屋さん大好きです。
もしも今学生だったら本屋でバイトする。
それくらいすき。

 

毎月けっこうな額を本屋さんに落としております。
なんかさ、本屋さんって1冊だけ買うのって気が引けません?
最低でも2、3冊。
多いと5、6冊。
あのずっしりとした重みを抱えながら帰るのがしあわせなのです。

 

ただ、全部読むのかっちゅーと、そこはまた別のお話でね。
大抵その日のうちに表紙を開かなきゃ、積まれる。
いわゆる積ん読(つんどく)です。

 

イシイドの部屋には木が生えている。

 読まれない本たちが積み上がりまるで木のように伸びていく。
あくまでイメージですけども。
膝より上にならないように気をつけてはいるので、徐々にその本数は増えていく。

 

学生の頃は片道1時間半、往復3時間の移動時間はみんな読書に使えたけれど、クルマ通勤になってからは読書の時間はなかなか取れません。
そして当時は小説がほとんどだったけど、今は実用書ばかりです。

 

『本棚を見ればその人が分かる』というけれど。

 

積ん読の木』をみると自分が分かるのです。

実用書というものは、その時の悩みをうつしています。
成績が悪くなると『売れる!〇〇』みたいな本を買い漁るし、婚活や恋愛の指南書も読んでみた。
英会話の本やダイエット本、片づけ本もそう。
みんな解決していない悩みばかり。
積ん読の木』は私の悩みの歴史なのです。

 

もしも読んだら何かヒントくらいはもらえるかもしれませんよね?
それでも読まないのは、単純に時間がないだけではありません。

それは自分の欠損(と信じている)部分と向き合いたくないから。

気になるから買ったのに見られない。
なに?
この好き避けみたいな感情!
本を買って、その穴を埋めたような気持ちなっても本当に向き合う勇気がないか、そこまで本気じゃないということですね。


でもね。

 

本には不思議な力があります。
本はその内容を読まれることが本懐ですが、『積ん読の木』は読まれなくてもその背表紙で無言の圧力をかけてきます。

 

「おマエのモンダイはカイケツしてないゾ」

 

ってね。
これって紙の本ならでは。
タブレットではこんなことできないでしょ?
だから読まなくても本を買わずにはいられないのです。

 

あれ?

もしも『積ん読の木』がなくなったら、このプレッシャーから解放されたりするのかしら…?

本の森に住むということは意外と疲れることでもあったりするんですね。

むむむ。

 

そんな愛してやまない本たちですが、7割が解決するなら仕方ない。
たいへん名残惜しゅうございますが『ときめき』で厳選の上、段ボール2箱を処分いたしたく候。


年内解決目指してがんばります!
(すでに忘年会が4件決まっておりますが)