バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

【読書感想文】乙一著『暗いところで待ち合わせ』とライトノベルについて

こんばんは、年間300日スーツで過ごす女、バリキャリ乙女のイシイド マキです。


四月に入り、気がつけば桜の花びらが風に舞う頃となりました。


早いですねぇ。
イシイドは三月の決算のバタバタから人事異動までありまして、アタマが120%仕事と会社に染まっております。
こういう時って、積極的にプライベートとの切り替えをしていかなきゃいけないんですけど、自分の楽しみを考えることを拒否してしまうんですよね。


そんな訳でして現実の逃避先として結構本を読んでおりました。
前回みたいにりと(id:rito-jh)さんご推薦のご本でもいいのですが、たまには自分でもご紹介できるような物語を見つけたくて本屋をぐるぐる。
そこで出会ったのがこちらです。

 


乙一著『暗いところで待ち合わせ』


あらすじ


視力と、唯一の肉親である父親を失い独り静かに暮らすミチル。
近所で起きた殺人の容疑者が逃亡していることを知ってから、家の中に『何か』の気配を感じるようになる。
盲目のミチルと孤独な青年アキヒロとの奇妙な同居生活が始まるが…

 


正直、この本は手に取るか迷いました。


だって表紙がかわいいんだもん。
幻冬舎文庫から発売されておりますが表紙がね、ドピンクの背景に女の子(主人公ミチルと思われる)のイラストが書かれてるんですね。


ラノベ


と思ったんですが、本屋さんがなぜか激推ししてまして


『この本を読んで涙しない人はいない』


だったかな、そんなポップが貼られていました。
うーんと悩んで購入。


はい、泣かせていただきました。

 


前半はちょっとガマン


物語の前半は主人公のミチルとアキヒロのそれぞれの孤独な半生が描かれていて、ハッキリ言ってかなり滅入る内容です。
決算中で疲弊していた私としては中々にヘビーでございました。


おまけに逃亡者であるアキヒロはミチルの目が見えないことをいいことに、その家に入り込み潜んでいるのです。
これは相当キモチ悪い。
この、なんだか分からないもしかすると殺人犯かもしれない人間が同じ部屋にいてじっとしている。
いつ襲われるかも分からない、そうでなくても若い女性がずっと生活を覗かれているという状況は発狂してしまいそうなほどに気持ちが悪い。
前半はこんな調子で進むものですから、いつ投げ出してもおかしくない状況でした。


ところが後半、ミチルが二人ぶんのシチューを作った辺りから一気に物語が動き出します。
前半の水の中を進むような重さから空を飛ぶような軽さで。
すべての澱みを振り払って、見事な展開に暖かい、優しい涙を流すことになるでしょう。

 

最初に危惧していた、いかにもラノベ、という感じはなく。

主人公たちのリアルな反応につい唸ってしまいました。

例えば、ミチルは落っことしてしまったドーナツを拾って食べたところを見られただろうと恥じてみたり、アキヒロはシャワーはこっそり借りているものの服が匂い出したらどうしようとか。

実際に生きた人間なら当たり前の感情や発想がさりげなく織り込まれているところにリアリティが感じられて楽しめました。


ちなみに、この作品は2006年に田中麗奈さん主演で映画化されていました。
本屋さんの激推しだったので新作かと思ったら、結構古い作品だったんですね。
ご記憶にある方もぜひもう一度。
オススメです。

 


ライトノベルって?


さて。
みなさんはライトノベルってどんな印象がありますか?
私も冒頭、ライトノベルにちょっと難色を示すような書き方をいたしました。


ライトノベルといえば。
表紙が『萌え』絵であったり、アニメの原作だったり逆にアニメからのノベライズだったり、アニオタの文学というイメージなんでしょうか?
平易な文体や「ドオオオオオオオン」みたいな擬音の多用、独特な世界観やストーリーと無関係なエロなどで文学的価値が低いと言われてしまいます。


私は10代の頃、『角川スニーカー文庫』で育った人間なのでライトノベル大歓迎なんですが、「ブログで紹介するのはいかがなものか」という懸念が過っちゃったんですよね。


『暗いところで』の乙一さんはライトノベルの地位を向上させるために、あえてライトノベル作家としてデビューし、断念したという経緯があります。


ライトノベルが文字通り(?)軽く扱われてしまう理由について、こちらの記事がとても良い解説をくださっています。
少し古い記事ですので現状と相違はあるかもしれませんが、ご興味のある方はぜひご一読くださいませ。

 

 

www.banka-enjoy.jp


さて。
そんな訳でして、『ライトノベル』というジャンルに対して、世間の印象は良くない。
キャッチーさを狙うあまり、読みやすさを通り越して読みにくくなってしまった。
最近では差別化するために、10代向けは『ライトノベル』20代以降向けは『ライト文学』と呼ぶのだそう。
もちろん、ライト系文学にも一般文芸に負けない名作はあるはずなのだけど、中々それを一目で見破るのは難しくなってしまった。
思えば、夏休みの頃には夏目漱石芥川龍之介などといった日本文学の文庫の表紙に人気漫画家のイラストを採用するようになった辺りだろうか。
一般文芸の表紙にも萌え系のイラストを採用するようになったのは。


元々、若者を活字離れから呼び戻そうという趣旨からであろうが、人気漫画家に釣られるマンガファンは購買しても読了するとは限らない。
本文を買ったのではなく表紙を買ったのだから。
そして元からの文芸ファンは二次元系表紙を警戒して購買しなくなるという逆効果を発生させているようにしか思えない。


現在、一般文芸とライト系文学の見分け方はレーベルで見分けるしかない。
ただし、表紙がイラストであっても、主人公のイメージを固定する(イラスト上インパクトのあるキャラクター)でなければ文芸寄りと見てよさそうだ。
なぜなら、最近の文芸作品はヒット→映像化の流れが当たり前になってきているから。
キャラクターの印象が強いものは実写で再現しにくいため、表紙は抽象的になり、キャラクターありきになっている作品はアニメーション化が規定路線と想像できる。


メディアミックスという手法は、どっぷり浸かったファンにとってはテーマパークのように楽しめるものだが、『これから』のファンや純粋に文章を楽しみたい我々にとっては少し警戒感を抱かせる。
映像化を否定はしないが、純粋に文章だけを楽しめる作品がもっと話題になればいいのにと思った次第でございます。

 

 

 

暗いところで待ち合わせ (幻冬舎文庫)

暗いところで待ち合わせ (幻冬舎文庫)