バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

二度あることは三度ある

こんばんは、年間300日スーツで過ごす女、バリキャリ乙女のイシイド マキです。


ブログ開設2周年の記事にたくさんのお祝いのお言葉、誠にありがとうございました。
さて、3年目突入の一発目は『二度あることは三度ある』について!

 


二度あることは三度ある


実は、あの記事を書き上げた後、少しだけブログから離れてゆっくりしておりました。
というか。
ブログから遠ざかざるをえなかったんです。


なぜなら、スマートフォンが車に轢かれたから。

 


イシイド、またスマホ壊したってさ


仕事でとある施設に寄ったとき。
あの日はとても風が強かった。
厚手のダウンを着ていたのでスカートが捲れ上がることはなかったものの、結わえるものを持っていなかったので髪がぐわんぐわん舞い上がっていて前が見えない。
そんなことに気をとられていて全く気づかなかったんですね、スマホを落としていたことに。
用事を済ませて戻ってくると、あれ?なんか見たことある光景が。
私のスマートフォンがアスファルトの上に突っ伏している。


えええええっ、落とした?
よかった!誰にも拾われなくて。


あわてて助け起こすと画面がバッキバキ。


均一にキズが入っていることから車に轢かれたことは一目瞭然。
見れば隣に停めてあった赤いBMWがいなくなっていた。


あんのベンベか!?ワレェッ!!


あっ、嘘、戻って来なくていいですっ


画面が真っ暗なままだったので、あちこち弄ってみると


ジョンッ!


スクショが撮れた音がした。
このヒビ割れの向こうで何をスクリーンショットしたものか。
今となっては確かめようがないけれど。
嗚呼、君の瞳はもう何も映しはしないのだけど、確かにその息吹は感じられたのだ。


ごめんね。


パラパラと硝子の粉が落ちるので、コンビニのビニール袋でそっと包んだ。
これは棺なのかおくるみなのか。
複雑な気持ちで鞄の中に横たえた。


幸い、翌日が休暇だったので携帯ショップに持ち込んだ。
担当してくれた店員さんはしきりに「修理できるか確認します」と繰り返したけれど、ほどなく交換となった。
そりゃそうだ、車に轢かれているのだから全損だろう。
スマホがないとなにかと不便だ。
何しろブログのネタもメモれない。
とにかく直ぐにでも元の生活に戻りたかった。


ところが困ったことに同型同色の機種は在庫がない。
後継機も選んでいいことになったが、微妙にデザインが好みでない。
デザインをとるか色をとるか。


二度あることは三度あるというし。


これまで、この機種で画面が割れたり壊れたり。
よくよく考えればこれで三度目だ。
この機種と私の相性が良くないということなのかもしれない。


散々悩んだあげく、後継機を選んだ。


…んだけどね。
その場で交換してもらえると思ったら、そうは問屋が卸さなかった。
交換には交換用の在庫が用意されているそうで取り寄せになるんだって。
結局、代わりが届くまで代替機生活に突入することとなった。
前回の教訓を活かして(?)無駄にアプリを入れたり個人情報登録するようなことを避けたので、ブログから離れることとなってしまったのだ。

 


『二度あることは三度ある』と『三度目の正直』はどちらが起こりやすいのか


さて、長い前置きでございましたが『二度あることは三度ある』といいます。


意味:比較的短期間のうちに、ある事象が繰り返し起こった場合、また繰り返す傾向が強いので物理的・心理的に備えよ


一方、『三度目の正直』という言葉もあります。


意味:占いや勝負事では、一度や二度ではあてにならないが三度目があれば本物だということから転じて、一度や二度で諦めず挑戦し続けよ


共に『三度』という言葉が登場するのでよく引き合いに出されるし、結果が逆のことを示すので「起こるの?起こらないの?結局どっち!?」とモヤモヤすることになります。


そこで、みんなモヤモヤしてたんでしょうね。
『二度あることは三度』と『三度目の正直』の起こる確率を計算した人がいます。
イギリスのトーマス・ベイズという数学者が唱えたベイズ推定を用いて計算すると


『二度あることは三度ある』のは75%
『三度目の正直』は25%


の確率なのだそう。
『三度目がある』確率の方が多いわけだけど、このモヤっと感は拭えません。
それはそもそも、似ているようでまるで違う話をしているからなんですね。

 


砂漠の隕石に遭遇するには


例えばのお話です。


地球には、年間300…ではなく、5~10個ほど隕石が落ちてくるのだそうです 。
街中に大きな隕石が落ちるとニュースになりますが 、それほど話題になることはありません。
つまり、大半は人里離れた海 や山や砂漠に落ちているということなのでしょう。


一人の旅人がおりました。
日々の喧騒から離れ、砂漠の小さな街へとやって来たのです。
空を見上げると流れ星。
長い長い尾を引いています。
街の人が「あれは隕石なんだよ」といいました。
旅人はすっかり美しい星空の虜になって、毎日毎日星空を眺めます。
ある時、 また、西の空に隕石が現れました。
街の人は言いました。
「珍しい、君は隕石に好かれているのかもしれないね」と。
旅人は「偶然だよ」と笑いました。


1ヶ月ほど滞在すると、旅人は自分の街に戻ることにしました。
街の人たちは別れを惜しみ盛大に宴を開いてくれました。
ほろ酔いで仲間と店を出ると、また夜空に隕石が現れました。


ああ、二度あることは三度あるというのは本当なんだな


旅人は嬉しい気持ちで砂漠の街を後にしたのでした。

 


さて、そんな旅人の話を聞いた別の旅人がおりました。


自分もなんとかして隕石が見たい。


週末の休みを利用して砂漠の街にやって来ます。
隕石を求めて夜の砂漠をウロウロとさ迷います。
ところが隕石どころか流れ星すら見ることができません。
別の旅人は悔しい気持ちで自分の街に戻りました。


その翌週。
また休日に砂漠の街にやって来ました。
西の空を見上げてウロウロとさ迷います。
だけどもやっぱり隕石を見ることはできませんでした。
別の旅人は悔しくて悔しくて、仕事が手につかないくらい隕石が見たいのです。
待ちに待った週末。
別の旅人はまたまた砂漠の街にやって来ました。
祈るような気持ちで夜空を眺めるとついに、夜空に長い長い尾の隕石が現れました。


ああ、三度目の正直とはこの事だなぁ


別の旅人は涙でにじんだ隕石を心に強く強く刻んだのでした。

 


というカンジ。
『二度あることは三度ある』という言葉と『三度目の正直』という言葉にある違いはそこに『人の意思があるか』という点です。


三度目を強く強く叶えたい。


そういう気持ちがあるかどうか、だと思うのです。

 


人間関係に三度目の正直はない


そしてモヤモヤ感はこの言葉たちを人間関係に使ってしまうことによって起こります。


嘘、浮気、遅刻、お金の貸借り…


様々な『裏切り』に対してこの言葉たちを当てはめようとするととても痛い目にあいます。
繰り返されるアヤしい行動に『二度あることは三度ある』じゃないかと疑って疲弊したり、今度こそ違う『三度目の正直』だと明らかな裏切りに目を反らしたり。


この際だからハッキリと言っておきます。


二度あった時点でそれは偶然の出来事ではなく、その人の性格です。
そういうものだと割りきって付き合っていくか、距離を置くか(お別れするか)。
大人になったら人間関係ってそれくらいシビアにジャッジされて当然なんです。
もちろん自分もジャッジされる立場だとよくわきまえて。


そして裏切られても裏切られても信じるって、とても美しいことのように思えるけれど、その先に成長がない。
いくらあなたが『強く叶えたい』と願っても、相手が思っていなければ変わらないのだ。


だから『二度あることは三度ある』も『三度目の正直』も人間関係には適用されない。
その都度その都度を丁寧に積み重ねていけばよいのだ。


スマートフォン、三度目の故障でそんなことを学んだのでした。