バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

街の灯

こんばんは、年間300日スーツで過ごす女、バリキャリ乙女のイシイド マキです。


2019年2月28日
この日、街の灯がひとつ、消えました。

 


経緯


「イシイドさん、板東から電話」


その日、後輩の一人が自分の携帯を私に向かって差し出した。


「えっ、私に?」


板東くんは、以前ウチの店にいた後輩だ。
今は異動で別の店舗にいるけれど、ずいぶん長い付き合いで私は弟のように可愛がっていたし、むこうも私を姉のように慕っているはずだ。
私の携帯に電話してくればいいのになぜか彼を間に挟んだことに少しだけ胸騒ぎがした。


「お久しぶりです。
イシイドさん、◯◯(コンビニ)のオーナーから聞きました?」


「え、何を?」


「ああー、やっぱりまだ言ってないんだ」


◯◯(コンビニ)のオーナーとは、ウチの店の前にあるコンビニで私のお客さまでもある。


「オーナー、今月いっぱいらしいです」


「え、どういうこと?」


「◻️◻️商店が忙しくて、今月で◯◯は辞めるらしいですよ」


◻️◻️商店はオーナーさんのご主人が経営している、言わば本業だ。


「たまたま、近くまで行ったんで久しぶりに顔だしたんですよ。
そしたらそんな話で。
『イシイドさんには言わないでー』って言ってましたけどボク意地悪なんで話しちゃいました。
イシイドさんには最終日に挨拶しに行くって」


晴天の霹靂とはこの事だ。

 


歴史


私とオーナーさん一家との出会いは10年くらい前に遡る。


ウチの店の前にあった古い園芸屋が廃業して、その跡地にコンビニができた。
それまで最寄りのコンビニまで信号を2つ渡らなければいけなかったが、今度は目の前だ。
それだけで我々は大喜びだった。
そしてたまたま目の前の大きな道路が整備されたおかげか、郊外型の店舗によくある広い駐車場はいつも車が停まり、ひっきりなしに出入りしていた。


女性のオーナーとその息子さんが店長だと聞いて、今では全く珍しくもないが、当時は珍しく何か訳アリなのかと勘ぐったこともあった。
けれども訳などなんもなく。
土日に手伝いに来ていたオーナーさんのご主人が来店され、たまたま私が応対してそれからずっと私が担当している。
オーナー夫妻とはなぜかウマがあったのと、長男さんが私と同い年だったこともあってずいぶんと可愛がってもらった。
男の子ばっかりの三兄弟だったので、娘ができたような気分だったのかもしれない(だったらいいな)


成績的にも相当助けていただいたが、何より忘れられないことがあった。
正確には私の心の中だけのことではあるが。
ずいぶん前に、成績が悪くてどん底で『無理矢理にでも売ってこい』と当時の上司に営業所を追い出されたときのこと。
このまま店には戻らず、会社にも二度と行かないで済ますにはどうしたらいいか。
家に帰れば家族に何か言われるかもしれない。
逃げたい。
赤信号でブレーキを踏まなければ、これらがみんな解決するんじゃないか。
そんなことを考えながら店の周りをグルグル回っていると、いつものコンビニの看板が目に入った。


オーナーさんなら助けてくれるかもしれない


重苦しい気持ちでコンビニの扉を開いた。


ところが。
バックヤードで二時間近く世間話をしたけど結局、商売の話はほとんどできずに終わった。
もしも、本当に無理矢理にでも売りつけていたら。
それはそれで営業としてひと皮剥けたのかもしれない。
だけど、その時は『売れなくて良かった』と妙に清々し気持ちになった。
こっぴどく叱られるだろうと覚悟して店に戻るとよほどスッキリとした顔をしていたのか叱られることはなかった。
そしてその後は憑き物が落ちたようにするりと成績は上がった。
ただの偶然かもしれないけれど、とても力をもらったんじゃないかと思った。


私はいまだに(半分)実家暮らしだし、両親共に健在だけど私にとって第2の母と言っても過言でない人なのだ。

 


事情


結局、オーナーさんに会えたのは板東くんの電話を受けた翌日になってしまった。
仕事帰りに顔を出すとご主人も店を手伝いに来ていた。


概ね板東くんから聞いた通りであったが、当人から事情を聞くと人手不足が後押ししたようだった。
通常はオーナーさんは昼から夜までの勤務で深夜帯から早朝までを店長が監督していた。
人手不足が深刻になるとオーナーさんは深夜帯も入ることになった。
しかも連日休みなく。
お年も70を過ぎ、相当大変だったと思う。
最近はイシイドが昼食を買いに行く時間でも(13:00~16:00というのも普通でないが)顔を合わさないことが増えていた。
深夜勤務が常態化していたということだ。
本業の事業拡大はめでたいことだが、こちらも人手が足りない。
本業なら、少なくとも明るい時間帯に働くことができる。


コンビニの経営は左うちわではないものの、決して潰さなければいけないようなものではなかった。
それでも年々上がる人件費が圧迫しているのも事実。
それならば、と踏み切ることにしたのだそう。


「それで、お店はどうなっちゃうんですか?」


自分たちの生活の不便を心配する気持ちもなかったと言えば嘘になるけれど、純粋な疑問が口をついてでた。


「しばらくは直営の人が入るみたいなんだけど…」


契約によるのだろうが、フランチャイズというものは経営に二人必要なのだそうだ。
店長はそのまま店を続けたかったらしいのだけど、まだ若く独身だった。
他の兄弟も仕事がありビジネスパートナーとなりうる人がいなかった。
だからオーナーさんが退く以上、店を明け渡さなければいけない。
それでも本部の人がしばらく来るというなら、その間に店長がビジネスパートナーを連れて来ることができたら、この店を取り戻すことができるのかもしれない。
私の胸にわずかだが希望の灯が灯った。

 


現実


2月28日。
15:00を過ぎたころオーナーさんがやって来た。
定期的に備品を購入していたので、最後の集金だった。


「イシイドさ~ん、どうしても売れ残っちゃったワインがあるのよ。
買ってくれない?」


オーナーさん一家は誰もお酒を飲まないがイシイドが飲み助であることはとうに知られていた。
毎年ボジョレー・ヌーボーはここで買っていたし、詳しい仕組みはわからないけど、企画で入荷した酒類は値段を下げてでも売り切らないといけないらしい。
レジ横で見かける赤札価格はそういうものが多い。
そういう困ったお酒を頼まれてはよく買っていた。
割安で変わったお酒が飲めるのだから大歓迎だ。
仕事が終わったら顔を出すと言って手を振った。


気がつけば20:00をまわっていた。
月末〆でゴタゴタしていたのだ。
ふと窓の外を見て青くなった。


コンビニの明かりが消えていたのだ。


正確には看板灯が消えていて、レジカウンターや窓ガラス寄りの室内灯も消えていた。
日除けの白いシェードが下ろされ、ぼんやりとほの白く光っている。


私は後片付けを後輩たちに押し付けて店を飛び出した。


駐車場に車を停めると、なぜか何台か車が停まっていた。
入り口に駆け寄ると


『2月28日18:00から3月◯◯日まで休業いたします』


と貼り紙があった。


18:00でしまってたんだ…


ちょうど同じタイミングでやって来たカップルが貼り紙を見て


「やだ、コンビニが休業って初めて見た」


「閉店…じゃないんだよなぁ」


「そんなことってあるの?」


「あるみたいですねぇ。
◯◯(コンビニ)ならその交差点を右に曲がって次を左に行くともう1軒ありますよ」


と、親切を装ってカップルを追い払う。
オーナーさんに電話をするとまだ店内にいた。


ちょっとまってね、と扉が開けてくれた。
身長155センチと小柄なイシイドよりも更に小柄なオーナーさんはブルーのビールケースみたいな踏み台に登らないと鍵を開けられない。


「開けとくとどんどん入ってきちゃうからさぁ」


そんなカップルを追い返しましたよ。


正直なところ。
このお店がなくなっても、オーナーさん一家が私のお客さまである限り二度と会えなくなるどころか今後もお付き合いしていかなければいけないわけで悲しいという思いはなかった。
ただ、コンビニという空間で、電気が消えているというありえない姿にひどくうろたえていた。
薄暗い店内は意外と商品が残っていたが、おにぎりやお弁当類の棚だけが不自然に空っぽで不安を煽るのだった。


格安で手に入れたワインを脇に置いてしばらくお互いのことを話した。
少しはゆっくりしてくださいよ、と言うと、なかなか旅行も行けなかったしね、とぼやく。
数年前に、コンビニを始めてから初めて旅行に行ったことがあった。
行き先はハワイだった。
普段は口が悪くて男の子を3人育てた肝っ玉母さんで、情に脆いけど曲がったことが大嫌いで化粧っ気のない人だけど。
帰国して、プルメリアハワイアンジュエリーのペンダントをつけていた。
どうやらご主人が買ってくれたらしい。
こういうかわいらしいところもある人だ。


常連さんの女の子に店を閉めると言ったら泣かれてしまったそうだ。
そう、本当にみんなから愛された店だった。
いや、この一家が愛されていた。


これからもよろしくね、そう言って店を出ると少し遅れてパチリと鍵の閉める音がした。
駐車場には新しく2台の車が間違えて入ってきていた。

 


翌朝。
広い駐車場はトラックと重機でひしめき合っていた。
出入り口にはカラーコーンが置かれていたが、その隙間を縫って軽自動車が入ってきては貼り紙を見て帰っていく。
私たちの店が開店する頃、コンビニの大きな看板が取り外された。


私の胸に灯っていた灯はあっけなく吹き消されてしまった。


幸か不幸か。
この日私は店頭当番で、刻々と、身ぐるみを剥がされていくお店を見ていなければならなかった。
やがてただの真っ白な箱になった頃、トラック達が帰っていった。
時折、私物を運び出すオーナーさんや店長、本部の人なのだろう、スーツ姿の男性が訪れたお客さんになにやら説明している姿が目に入った。


そして陽が傾き、白い箱が夕べのようにほの白く光る頃。
オーナーさんと店長の車がなくなっていることに気がついた。


花でも買って届ければ良かった。


私はいつも一歩遅いのだ。
わが身の気の利かなさを心底呪った。

 


蜃気楼


帰り際、手帳に挟んでいた払込票に気がついた。
オーナーさんにやってもらうつもりですっかり忘れてしまっていた。
手近なコンビニに駆け込むと、偶然あのコンビニと同じチェーンだった。


聞きなれた来店チャイムに、レイアウトこそ微妙に違うけど見慣れた店内。
胸が塞がれるような気持ちになった。
払込だけできればよかったのだけど、少し申し訳ない気がしてチューハイとチーズのつまみを買って払込票を差し出した。


まだ新人なのだろう、マジックで手書きの名札を付けたアルバイトがモタモタと手続きする。
ふとその背後に視線をやると心臓が跳ね上がった。


小柄な体型に茶髪のショートカットにメガネ。
年は出会った頃と同じくらいか。
おそらく並べたら似ても似つかない二人だろう。


だけどすべてのキーワードが彼女を表していた。

 


家路


コンビニの閉店など、日常のありふれた光景だろう。
でも時に。
当たり前で大切な日常は驚くほどあっけなく崩れ去る。
人手不足、高齢化、働き方改革
このやるせない気持ちをぶつける矛先は山ほどあるけれど、単純にタイミングや時の巡り合わせだ。
誰が悪いのでもない。


それでもあの暖かい街の灯が消えたことは例えようのない悲しみだ。


信号が青に変わった。
前を走る車の赤いテールランプが滲んで見えたが私はそのままアクセルを踏んだ。