バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

他人の不幸は蜜の味か?

こんにちは!年間300日スーツで過ごす女乙女イシイドです(^-^)v
平日でもまだまだ人が多い…

子供さんたちはまだ夏休みなんですね。
羨ましい(>_<)
バリキャリはバリキャリらしく働いていきますよ!

 

さて、先日のこと。
後輩女子(先日辞めた後輩とは別の後輩)に呼び止められました。

 

後輩「イシイドさ~ん」
イ「んー、なーに?」
後輩「あたし、結婚したんスよ」
イ「あ、そぅ、おめでとー」
後輩「そんで、この書類なんですけど…」
イ「ん、待って。したの?これからするんじゃなくて?」
後輩「ハイ、二日前に」
イ「え?」

 

そういえば、二日前、会社を休んでたね。

 

イ「また、急ね。お式とかはしないの?」
後輩「イヤー、それは追々?元々一緒に住んでたんで、とりあえず、紙だけぬるっと出してきました」
イ「あ、そぅ。おめでとうございます(≧∇≦)」
後輩「ありがとうございます(〃∇〃)」

 

ほほぅ、最近の同棲カップルにおいては、婚姻届はぬるっと出すものなのか、と場違いな感想を抱いたりして。
このフツーに自然な態度での重大発表があまりに微笑ましくて、幸せな気分になりました。

 

本音を言えば。

 

10年くらい前に友人たちの結婚ラッシュがあって、5年くらい前にも同世代のお客さまのラッシュがあって。
その時は普通におめでとうと祝福ができた。
だって、その時は別に結婚なんてしたくなかったから。
自分が結婚しないなんて。
ましてや、自分が結婚できないなんて。
思ってもいなかった。
いつかしたくなった時にするんだろう。
その時一緒にいる人と。
30は過ぎてるだろうけど。

 

そして、今。
まさかの事態に陥ってる今。
夜な夜な、こんなところで「結婚したーい‼」と雄叫びをあげている今。
親しい人の幸せを、心から喜べる自分でいられているだろうかと、不安だった。
無意識に、人の不幸を願ってしまったりしていないだろうかと、不安だったのだ。

 

全然フツーだったね。

 

どこぞの国のミサイルよりもなんの前触れもなく放たれた爆弾発言は、ヌルッと提出された婚姻届のようにつるりと私たちの間に落ちてきた。
それは彼女が、その可愛らしい顔には似つかわしくない口調で
「あたし、さっさと結婚したいんスよ」
「子供ほしいし、しますよサクッと」
と繰り返していたのを聞いていたからかもしれない。
願いがかなってよかったね。
単純に、嬉しく思えた。

 

そしてホッとする自分がいたのです。
ああ、ネガティブな感情を抱かなくてよかったなと。

 

はた。

 

なぜ、ネガティブな感情を持っちゃいけないんだろう?
確かに妬みやヒガミなんてものはない方が楽です。
でも、持っちゃうものは持っちゃうものだしね!
別に「他人の幸せを喜べないなんていけませんわ!」なんて言うつもりはありません。
喜べないときは喜べないだろうし。
たとえば、ぐっちゃぐちゃにケンカして別れた元カレが結婚したとか聞いたなら、呪いの3つや4つ吐くのも当然だと思います。
だってそこには因果があるから。

 

じゃ、逆に他人の不幸は喜べたりするのだろうか?
二股されてぐっちゃぐちゃの別れを経た元カレが二股相手の女子に捨てられたら、うん、悪くないね!
けど、その上リストラされて不治の病で闘病中とか聞いたらちょっと夢見が悪そう。
自分の想定している以上の不幸だとちょっとビビるよね。
テレビで見る自分には縁もゆかりもない人達にだって、気の毒な事件には心が痛むし、大きな災害があれば寄付や募金は国内外から自然に集まってくる。
そう思うと本気で他人の不幸を喜ぶということはないのかもしれない。
平時であれば。

 

ながいながい人生の中では、誰かのことを憎んで憎んで憎んでしまうこともあるでしょう。
でも他人の不幸では味わえないのです。
たとえば誰かと一緒に過ごしたあの幸福感と同じ幸せは。
もしも他人の不幸を望むことがあれば、それは平時ではなく、心が戦争状態なのだ。


私は平和を望む。
世界も、私の心の中も。

 

他人の幸福は蜜の味。

プーさんみたいにたくさんの蜜を味わいたいな。
どうぞ、お福わけをお待ちしとります(^ー^)